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 最近になって、ツイッターを始めました。以前は「勝手につぶやいて何が面白いんだろう?」と、やや否定的な印象しかありませんでした。でも、これを絶賛する人もいるので、わからないときはやってみるべしと、始めることにしたのです。


 最初は、何をつぶやけばよいのか、よくわかりませんでした。それでも思ったことをときどきつぶやくうちに、なんとなく心地良さが見えてきました。それは、「緩やかなつながり」です。フォローしてくれる人が増えるにつれ、「誰かが聞いているのかもしれない」という気持ちになったのです。
 
 当然なのでしょうけど、ブログと似通っていますね。ブログを他の言葉で言うなら、「膨大な独り言」です。アクセス解析によって、誰かが訪問してくれたことはわかります。でも、読んでくれたかどうか、読んでどう思ったかなどはわかりません。ときどきコメントやメールなどで反応があると、「あー、読んでくれたんだな。」とわかるくらいです。
 
 なんと思われているかわからないけど、緩やかに誰かとつながっているということが、心地良さを生み出しているのかなと感じます。ブログとの違いは、その瞬間にふと感じたことを、ポロッと言葉にできる点でしょうか。もし興味のある方は、フォローしてみてください。
 
 
 さて今回は、あるゴーゴーガールのお話です。もう5年以上前からの知り合いです。その子と昨夜、久しぶりに会いました。差し障りがあるといけないので、店と女の子の名前はナイショです。
 
「私、今年いっぱいで仕事を辞めるのよ。田舎に帰るの。」
「ふーん、どうして?」
「もう歳だし、お客さんに相手にされないから。」
「そんなことないよ。十分に魅力的じゃないの。ところで今、何歳?」
「25歳よ。この店も、若い子がいっぱいでしょ。」
「そんなまだ十分やれるよ。30歳を過ぎて、やってる子もいるし。」
「でもほら、私、背が高いでしょ。日本人の客からは、気に入られないのよね。」
「それも魅力じゃないの。ぼくは日本人だけど、背が高くてもいいと思うよ。」
「私、ガトゥーイ(おかま)に見えるらしいの。」
 
 たしかに背が高くて、そう言われればオカマに見えるのかもしれません。整形したからではなく、元々彫りの深い顔なのです。日本人はどちらかというと、ノペーっとしたモンゴロイド系の顔が好きですからね。
 
「それで、田舎に帰ってどうするの?」
「お母さんが病気なのよ。だからお母さんを看病して、一緒に暮らすの。」
「じゃあ、十分にお金を稼いだんだね?」
「そんなに稼いでないわよ。最近はずっと仕事を休んでたし、お金はほとんどないの。」
「でも田舎に帰るんでしょ。どうやって暮らすの?」
「田舎で小さな雑貨屋をやっているの。それを手伝うわ。」
 
 
 華やかな世界に飛び込んで、彼女ももう5年以上働いてきました。私はこの子が気に入っていたのではなく、その友達の子がお気に入りだったのです。それが縁で、この子ともたまに話をするようになったのです。お気に入りの子は、とっくに辞めちゃいましたけどね。
 
 それでも、5年も顔を見ていた子がいなくなるとわかると、なぜか切ない気持ちが込み上げてきます。一時期は、「私も自分の美容院を持ちたいの。」と夢を語っていた子です。おそらくその夢は、かなわなかったのでしょう。小さくても、自分の店を持つためには、相当なお金が必要でしょうから。
 
 多くの女の子が、彼女のように夢を見ながら仕事をして、そして年齢を感じるようになって、その夢をあきらめます。だんだんと振り向いてくれる客も少なくなって、自分の限界を感じるのでしょう。「もう若くないから。」20代半ばの女の子が、そう感じる世界なのです。
 
 
 彼女がこの世界に飛び込んだ時、いったいどんな気持ちだったのでしょうか?私はふと、そのことを思いやってみました。田舎から大都会のバンコクへ行くのです。夢や希望だけでなく、押しつぶされそうなほどの不安もあったでしょう。その不安を、「頑張って働けば豊かになれる」という希望が、かろうじて支えたのかもしれません。
 
 しかし働き出してみれば、現実の厳しさに直面することもあったでしょう。体調が悪くても仕事を休めなかったり、嫌な客から酷い仕打ちをされたり、中の良かった友から裏切られたり...。今、彼女はどんな思いで、田舎に帰ろうとしているのでしょうか?
 
 「大変なこともあったけど、楽しいこともあった。私の選んだ人生に満足しているわ。」そう、思っているのでしょうか?いや少しは、そう思うことがあってほしい。少なくとも私は、あなたと出会えたことを良かったと思っているから。私の人生に関わってくれて、ありがとう。またいつか、どこかで会えるかな?いつか、どこかで。