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 その日、私はいつものように、ソファーに座ってステージを眺めていた。場所はナナプラザにあるレインボー1。日本人客がけっこう多い店だ。まだ早い時間だったからか、客はそれほど多くはない。ステージ周りのカウンター席には空席が目立ち、端に1人の女の子が座っていた。名はあとでわかったが、インと言う。


 「見たことがない子だな。」そう思いながら、ちらちらとその子を見ていた。飛び抜けて美人とか、かわいいというわけでもない。背はやや低めで、パーマをあてた黒い髪が背中まで達していた。頬杖をつくようにして、あらぬ方向を見ている。
 
 
 しばらくするとダンスの時間になった。ステージの登り口に近い後ろの方で、ひっそりと踊っている。いや、揺れている。客に誘いかけるわけでもなく、ただただ自分の世界に入っているかのようだった。
 
 ダンスが終わると、またさっきの場所に戻り、同じようにあらぬ方向を見つめていた。「何をしに来ているんだろう?」まるで商売っ気がない様子に、不思議な気持ちになった。ときどき視線を移すので、そのとき私と視線が合った。ニコッと微笑むと、彼女もまた微笑み返した。しかしすぐさま、またあらぬ方向に視線を移した。
 
 普通、客から微笑まれたら、気があるのかもしれないと思ってやってくるものだ。しかし彼女は、まったく関心がないかのようにしている。「誰か客を待っているのだろうか?」他の女の子とおしゃべりするわけでもなく、ただただ時間を潰している。
 
 
 そうこうしているうちに、またダンスの順番が回ってきた。そしてまた、同じように揺れて時間を過ごし、ダンスが終わると定位置に戻ってきた。同じように頬杖をつき、あらぬ方向を見ている。「不思議な子だ。」そう思うと、よけいに興味が湧いてくる。ついに私の方がしびれを切らし、給仕の子に頼んで呼んできてもらった。
 
 名を聞くと、インだと言う。働き始めて3日目だとか。ペイバーされたことがあるかと聞くと、1回あったと言う。まだ慣れてなくて、恥ずかしさもあって、客と目を合わさないようにしていたのだと。わからなくもない。少なくともこういう場所に不慣れなら、緊張して当然だろう。
 
 
 しばらく話した後、私はインにペイバーを申し出た。「朝まででいいかなあ?」彼女は一瞬ためらったが、照れたようにOKしてくれた。初めて見た子をペイバーするなんて、そのころの私としては珍しいことだった。ただ、その子の不思議な魅力に抗えなかったのだ。
 
 私服に着替えてきたインは、どこにでもいるような女の子だった。肌は浅黒いが、目がぱっちりとしている。強めにパーマをかけているのだが、その巻毛は背中まで伸びていた。店を出るとインは、近くの祠(ほこら)の前でワイ(胸や顔の前で手を合わせること)をした。信心深い様子に、それだけで「いい子なんだろうな」と単純に思った。
 
 
 食事をすることにしていたが、「どこへ行きたい?」と尋ねても、「あなたの好きなところ」としか答えない。この辺りは慣れていないので、どこが良いのかわからないと言うのだ。仕方なく、スクンビット通りを渡ってしばらく東に歩き、ちょっとおしゃれなイタリア料理の店に入った。ガラス越しに、通りを歩く人がよく見える。逆に言えば、外から見られていることにもなるのだが。
 
 食事をしている間、インは多くを話さなかった。かと言って、退屈させるわけでもなかった。いつも微笑んで、私のことに関心を払ってくれた。それが気持ち良かったからかもしれない。店を出ると、彼女から私の手を握ってきた。まるで恋人同士のように、手をつないでスクンビット通りを歩いた。
 
 
 部屋に戻ると、あとはお決まりのコースだ。特筆することは何もない。ただ、ことが終わって寝ようとした時、私は彼女の行動に驚いた。「ねえ、握ったまま眠っていい?」すでに彼女の手は、やや萎えかけた男のシンボルを握っている。拒否する理由もない。「いいよ。」私はそう答えた。そしていつしか、眠ってしまった。
 
 次の日の朝、何ごともなかったかのように、彼女は着替えて出て行った。「あれは、いったいどういう意味だったのだろう?」私には、答が出せなかった。「どういう意図であんなことを?」不思議な気はするが、まんざらでもない。
 
 
 結局、あれが何だったのか、確かめることもできなかった。なぜなら、あれから二度とインとは会わなかったからだ。おそらく、あれから間もなく店を辞めたのだろう。1週間くらいしてから店に行った時、もう彼女の姿を見なかった。そしてその後も、見ることはなかったのだ。
 
 彼女には、ゴーゴーバーでの仕事が性に合わなかったのかもしれない。堅気の仕事をしていた子は、入ってはみたものの合わずに辞めていく場合も多いからだ。どんな事情があったのか、私には何もわからない。ただ、「不思議な子だったな」と、今でも懐かしく思い出すのだ。