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 あれは私がタイに来て、まだ間もない頃だった。先輩に連れられて、初めてソイカウボーイに足を踏み入れた。ますはお勧めのバカラへ行こうということになり、私たちは店の中に入った。先輩がここがいいと言うので、ステージ周りのカウンター席に座った。見上げると、2Fのステージの床が透明で、ダンサーたちの姿が見えた。


 学生服にスニーカーという格好で踊っていたが、パンツを履いているのかどうか。じっくり見ても、照明が明るくないのではっきりとはわからない。向かいの席の男性客も、ポカーンと口を開けて見上げていた。その様子を女の子たちが見て笑っている。これじゃあ、どっちが見られる側なのかわかったものじゃない。
 
 先輩が、ステージを指差した。ここを見ろと言うことらしい。鏡張りのステージには、みごとに2Fの様子が映っていた。これなら首を痛めずに鑑賞できる。なるほど、だからここが良いと言ったのか。私はそのとき初めて、カウンター席に座る意味がわかったのだ。
 
 
 それはまだ、バカラが拡張される前の話だ。今は入って左側にもソファー席があるが、そのころはまだなかった。ステージの大きさが変わったかどうか覚えていないが、おそらくほとんど変わっていないだろう。
 
 2Fも今は拡張され、ステージの周りすべてに客席がある。当時は、ステージの一方は壁で、もう一方は鏡になっていた。ただそれはマジックミラーで、その裏にはVIPルームがあったのだ。鏡があると、女の子たちは鏡を見ながら踊る。マジックミラーの裏側で、女の子から見られることなく、鑑賞できる仕組みだった。
 
 バカラに行く前に先輩が言った。「バカラは男がいるから気をつけろよ。」タイはオカマやオナベが多い。ゴーゴーバーにも、当然のようにいる。ナナプラザやパッポンにはLB(レディーボーイ)専門店もあったが、ソイカウボーイにはなかった。専門店はなくても、バカラのようにオカマが混じっている店は、けっこうあったのだ。
 
 
 しばらく見ていると、赤い服を着たエスコートレディーがやってきた。当時はダンサーとエスコートの区別もつかなかった。だからエスコートレディーだとわかったのは、もっとずっと後のことだった。顔を見ると、目鼻立ちがしっかりしていてかわいい。それに痩せていて、私の好みだった。名前はゲオと言う。
 
 ドリンクをご馳走して話をしていたが、やがてペイバーしてくれということになった。私は先輩からの忠告を覚えていたので、先輩に確認した。「この子は大丈夫ですよね?」先輩が、「ああ、この子は大丈夫だ。」と言ってくれたので、私は安心してゲオをペイバーした。
 
 
 ホテルに戻ってベッドに入ると、シャワーを浴びたゲオもベッドに入ってくる。胸を触ると、かすかに膨らんでいる程度だった。「私、胸がちっちゃいでしょう?」胸が小さいことを気にしているようだ。そんなに気にしなくてもいいのに。私はゲオのことをかわいく思った。
 
 しかし、パンツに手をかけた時、ゲオが抵抗した。「今日はダメ。メンスなの。」高ぶっていた気持ちが、だんだんと萎えていった。「なんだよ。そうだったらペイバーする前に言ってくれよ。」そういう気持ちだったが、まあでもしょうがない。私はゲオと抱き合って寝ることにした。
 
 
 翌朝、ゲオが友達を呼んでいいかと言う。OKと答えると、ゲオは嬉しそうに電話をした。しばらくすると、その友達がやってきた。名をジュンと言った。ゲオと一緒に、バカラで働いていると言う。3人で食事に行こうということになり、サイアムにあるMKレストランへ行った。MKは、タイスキのチェーン店だ。
 
 タイに来て、初めて食べるタイスキ。しかも、タイ人の女の子を2人も伴って。「こんなことができるのも、タイならではだなあ。」そんな感慨に浸った。その後は近くで買い物をし、ゲオがサンダルを買ってくれと言うので、400バーツくらいする厚底のサンダルを買ってあげた。
 
 それからジュンが自分の家に帰るというので付き合った。タイに来たばかりということもあって、私はそこがどこかもわからず、タクシーで引っ張り回された。ジュンの部屋に行くと、おじいさんがいた。同居しているのだと言う。遠慮してか、おじいさんは部屋から出て行った。
 
 
 しばらくそこで話した後、私は買い物に行きたいのだと伝えた。Tシャツを買いたかったのだ。今度はゲオと2人でタクシーに乗って、オンヌットにあるロータスというスーパーマーケットへ行った。オンヌットは、当時はBTS(高架鉄道)の終点だったので、なんとなく場所がわかった。場所がわかったので、私は少しホッとした。
 
 買い物を済ませると、ゲオが自分の部屋へ行くと言う。それでタクシーで一緒に行くと、ルームシェアの女性がベッドで寝ていた。その子は私に挨拶すると、遠慮してか、部屋から出て行った。ただ、それはどう見てもオカマのように思えた。背が高く、体つきもごつかった。
 
 ゲオは、私が買ったTシャツを袋から出すと、ハンガーに掛け始めた。私は慌てた。「いや、それは持って帰るんだよ。ホテルに。」そう言いながら思った。「ひょっとしたら、ここでオレと同居しようとでも思っているのか?まだ出会ったばかりなのに。」ゲオは残念そうに、ハンガーからTシャツをはずして、袋に戻した。
 
 
 その日は店に一緒に行き、ペイバーしてくれと頼まれた。私もその方が楽だから、それを承知した。いや、本当は怖かったのだ。機嫌をそこねられて、「勝手に帰りなさいよ」などと言われたら困ってしまう。まだタクシーにすら1人で乗ったことがなかったのだから。
 
 店に行ってペイバーし、一緒に食事をしてホテルに戻った。長い一日が終わったと思って、ホっと安心した。その夜もゲオはメンスだと言うので、私たちはただ抱き合ったままベッドに横たわった。何もしないけれど、私はそれで満足だった。私も本気で、ゲオのことを好きになったのかもしれない。
 
 
 それからも連日、私はゲオをペイバーして、ホテルで一緒に泊まった。2~3日過ぎたころだっただろうか。さすがに私も我慢できなくなった。もうメンスだとは言わせない。力づくでもセックスしたいと思って、ゲオに迫った。抗し切れなくなったゲオは言った。「ごめんなさい。私、男なの。」その瞬間、私の身体から力が抜けた。
 
 いったい何をやっていたのだろう。この私が男に抱きつくだなんて。本当にどこを見ていたのだろう。まったく気が付かなかった。いや、怪しいと感じられることは多々あったのだが、それを見ないようにしていたのだ。恋は盲目と言うが、まさかこの私が...。私は、自分が情けなくなった。しばらくしてゲオに帰るように言い、お金を払って部屋から追い出した。
 
 
 それからしばらく、バカラでゲオを見かけることがあった。私はドリンクはご馳走しても、二度とペイバーすることはしなかった。女だと思ったから好きになったのに。なんだか裏切られたように気がしたのだ。
 
 そんなことがあって、約1年くらいが過ぎた。いつしかバカラで、ゲオの姿を見ることがなくなっていた。そんなある日、ナナプラザへ行こうとしたとき、通りでゲオにばったり出会った。ゲオは言った。「私、もう女になったから大丈夫よ。」おそらく性転換の手術をしたということなのだろう。
 
 そうは言われても、男は男だ。当時の私は、そういう考えからは抜け出せなかった。ゲオは執拗に誘ってきたが、私は頑として首を縦には振らなかった。ただ、そのまま立ち去ることはできなかった。ゲオの手に100バーツほど握らせると、「ごめんね」と言って別れた。私の中にも、複雑な気持ちがあったのだ。