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 ナナプラザは、初めて行く者にとっては、少しわかりづらい構造になっている。それが逆に、ちょっと慣れた者には隠れ家的な場所があって、優越感を感じるところでもある。そんな店の1つが、マンダリンだった。


 
 ナナプラザの入り口から中庭に入ると、右手にエスカレーターがあるのが見える。これを登ると、いきなり大勢の客引きに取り囲まれて驚くかもしれない。心の準備をしておかないと、腕を掴まれて予定もしていなかった店に引きこまれてしまう。
 
 けれど当時はまだ、そういう激しい客の奪い合いはなかった。それは、ゴーゴーバーがそこに2件しかなかったということも、関係しているかもしれない。エスカレーターを上ったところにあるのがシルバードラゴンという店だった。ソイカウボーイのシャークの姉妹店だ。
 
 当時のシャークは、まだ太めの子が多数在籍していた。一方でシルバードラゴンは、細い子が多かった。年に何度か、姉妹店の代表がシャークに集まり、ダンスコンテストをやったものだ。そのころ私は、ナナプラザにシルバードラゴンという店があることを知らなかった。ダンスコンテストにやってきたセクシーな女性を見て興味を持ち、初めてそういう店があると知らされたのだ。
 
 
 しかし今日の話は、シルバードラゴンの女の子のことではない。さらにその上にあるマンダリンという店の子の話だ。これもまた、シャークやシルバードラゴンとは姉妹店になる。ナナプラザを3階まで登る通常の階段とシルバードラゴンの入り口の間に、さらに奥に続く入口がある。そこを入ると階段があって、上に登ることができる。中3階とでも呼ぶのだろうか。そこがマンダリンだった。
 
 そんな奥まったところは、怖くて入りづらいものがある。逆にそれだけに、怖いもの見たさで入ってみたくもなるものだ。当時、今のように天井がシースルーで、ソイカウボーイのバカラのようになっていたかどうか記憶がない。まるでプロレスのリングのような、四角いステージなのは、今と同じだと思う。
 
 
 そこに、ジーという女の子がいた。あどけない顔をしたジーは、ややロリコンの気がある私の好みだった。背が低く、体つきは細かった。胸はわずかにふくらんでいて、私の片手でつくるくぼみの中でも遊ぶほどだった。
 
 性格はおとなしかった。誘いかけてくるようなことは一切しないばかりか、おしゃべりもあまりしない。ただ私の隣りに座って、ぴったりと身体をくっつけていてくれるだけだった。嫌そうな顔ひとつせず、ドリンクを要求することもなかった。残りが少なくなったから「もう1杯飲む?」と聞くと、「まだあるから」と言う。そんな子だった。
 
 
 しばらくして、ジーはいなくなった。どうやら辞めてしまったらしい。それはそれで残念なことだったが、特にジーに執心だったわけでもないので、私はいつしか彼女のことを忘れていた。そして、2階にあったシルバードラゴンは改装され、店名がマンダリンとなった。同じ店として上下階を使うのかと思ったら、別店舗として経営するとのことだった。
 
 店舗が別なのに店名が同じだと、他の人と話すのに困ってしまう。「2階のマンダリン」と「中3階のマンダリン」と呼べば良いのかもしれないが、それはその2通りの言い方を知っている人にしか通用しない。2店舗あることを知らない人は、「2階のマンダリン」とだけ聞いて現地へ行けば、必ず戸惑ってしまうだろう。
 
 それで私は、元々あったマンダリンをマンダリン1と呼ぶことにした。では、2階にあるシルバードラゴンのあとのマンダリンはマンダリン2か。そう思ってママさんと話をすると、パタヤにもマンダリンという店があることがわかった。それで、ここはマンダリンの3店舗目だということがわかったので、マンダリン3と呼ぶことにしたのだ。
 
 
 そんな状態になってから、私はマンダリン1で懐かしい顔を見つけた。ジーだった。戻ってきたのか?1年以上経っているはずだったが、相変わらずあどけない顔をしている。少しは肉つきが良くなったのかもしれないが、ほとんど変わらない気がした。
 
 胸のふくらみも、相変わらず片手で遊びができてしまうほどしかない。そんな小さな胸がなぜか愛しくて、私は隣りに座るジーの胸を弄びながらビールを飲んでいた。ふと、彼女が何歳になったのか気になって聞いてみた。19歳だと言う。だとすると、この仕事を始めた頃は、まだ18歳になっていなかったのかもしれない。
 
 ただ、タイ人はときどき満年齢ではなく、数えで答えることがある。数えと言っても、昔の日本のように、生まれたときが1歳で、正月が来る度に1つ歳を加えるというものではない。生まれたときはゼロ歳とするものの、正月になると1つ年齢が増えるのだ。だから19歳と言っても、その年に満19歳になるだけであって、本当はまだ18歳なのかもしれないのだ。
 
 
 私は冗談半分で、「子どもはいるの?」と尋ねてみた。するとジーは、驚くふうもなく「いるよ。1人。」と答えた。どう見ても幼い少女にしか見えないジーなのに、もう子どもがいるという。私は、そのギャップに驚いた。そして、そのことを恥ずかしがるわけでもなく、さも当然のように言うジーの感性にも驚いたのだ。
 
 相手の男性はタイ人だと言う。もう別れたと。だから、自分が稼がなければならない、ということなのだろう。子どもは田舎の親元に預け、自分だけバンコクに戻って働いている。そんな話を聞かせてくれた。「子どもはかわいい。」私からすれば、まだまだ子どもにしか見えないジーが、そう言って目を細めるのだ。
 
 
 教育がないから。貧乏だから。政府の政策が悪いから。そもそもバカだから。いろいろ言うことはできるだろう。けれど私は、そんなふうにジーのことを考えることができない。バカでも何でも、ただ一所懸命に生きている1人の少女。私にとっては、愛すべき少女なのだ。