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 最近は、竹島や尖閣諸島などを巡って、領土問題がクローズアップされています。特に日本が実効支配する尖閣諸島に対する中国や台湾の実力行使は、一触即発の事態につながりかねないと懸念しています。


 中国で盛んに反日デモが行われたときは、タイのニュースでも盛んに取り上げられました。それでゴーゴーガールたちからも、「なぜ中国と日本はケンカをしているのか?」と問われたものです。「カンボジアとタイと同じだよ。」と答えると、たいてい納得していましたけどね。タイもカンボジアと領有権を巡って、散発的に戦闘を行なっていますから。
 
 
 タイの狭い日本人社会でも、このことが話題になることがよくありました。たいていは、「相手(韓国や中国)が一方的に悪い」という論調です。「竹島は日本の領土です」と印刷されたTシャツを作って、韓国料理の店に繰り出そうと言う人もいれば、逆に「こういう時期だから中華料理の店を利用するのはやめよう」という人も。
 
 そういう対応の善し悪しを、ここで言うつもりはありません。何が良くて何が悪いか、決めるのは自分自身ですから。そう決めることが楽しくて自分らしいことだと思うなら、そう決めれば良いだけです。逆にそう決めると自分らしくないと感じるなら、考え方を変えれば良いだけ。それだけなのです。
 
 絶対的な善悪があると考えるから、自分がどう感じるかを無視して、自分でないものになろうとするのです。それで幸せになれるなら良いのですが、自分を見失って幸せになれるはずがありません。歴史的にも地理的にも、善悪の価値観は多様で、細かく言えば人それぞれ異なっています。だからこそ、この世は面白いと、私は思いますけどね。
 
 
 さて、またまた一大韓流ブームがやってきましたね。PSY(サイ)の「江南(カンナム)スタイル」です。世界的にブームになっていますが、もちろんタイでも大ブレークしています。ゴーゴーバーへ行って、この曲がかからないなんてことはないはず。また、あの独特な振付をマスターし、踊る子も続出です。
 
 曲のテンポやリズムが素晴らしくノリやすくて、ちょっとコミカルな感じが楽しくさせてくれます。こんなに聴く人を楽しい気分にさせてくれる曲は、そう多くはありません。イントロがかかった瞬間に、ワーッと下から上に体の中を突き抜けていくものを感じます。共感する人同士の一体感。これはたまりませんね。
 
 
 これに限らず、K-POPはよくかかります。テンポがいいし、カッコイイ感じの曲が多いです。私は、それを作っているのが韓国人かどうかということにこだわりがないので、良いものは良いと評価します。タレントのスタイルの良さ、かっこ良さ、かわいさなど、抜群のものがあると思います。
 
 タイ人も私と同様に感じるのでしょう。嫌韓という価値観は持っていないので、タイ人の多くは韓国が大好きです。テレビを見れば、韓流ドラマがたくさん放送されています。映画なども、よくできた作品がけっこうあります。こういう文化的な才能は、たいしたものだと思います。
 
 
 一方で、日本の文化的なものは、あまりタイに広がっていません。せいぜいアニメでしょうか。TVアニメはわりとよく放送されていて、私が来た当初も、最初に言われたのが「一休さん」でした。「日本人=一休さん」という感じですね。仏教国だけに、小僧の一休さんには親しみを感じるのでしょう。
 
 J-POPも少しは知られていますけど、ブームにはなってないようです。ゴーゴーバーでも、ほとんど聞きませんからね。ドラマも、日本のものは滅多に放送されません。たまに古い映画が放送されることはありますけど。値段が高いのがネックになっているのでしょうか?もったいない気がします。
 
 
 上映される映画も、タイとアメリカのものがほとんどです。日本の映画は滅多にありませんね。見たい映画はたくさんあるけど、こちらではDVDになるまで待たなければなりません。今度、久しぶりに日本の映画が上映されます。「ドラえもん のび太と奇跡の島」です。アニメですけど。
 
 タイと日本が協力して作った映画も上映されますね。「サーラネー(おせっかい)」です。タイの人気コメディアンが日本へ修行に行くというもの。吉本興業とNeko Jumpが登場するようです。どんな映画になるのでしょうか。タイのコメディーは、吉本新喜劇と近いところがあるので、相性は良いかもしれませんね。
 
 
 
 バンコクで暮らしていると、実に多種多様な人種と出会います。会話をすることはなくても、普通に隣りに座っていたりします。また見た目は同じ人種に見えても、違う国籍ということもよくあります。中国人と韓国人と日本人なんて、何語を話すかでしか違いがわかりません。それに中華系のシンガポール人とかタイ人なども加えると、見た目ではまったく識別不能です。
 
 おそらくファラン(西洋人)もそうなのでしょう。会話をしないからわからないだけで、英語を話すからアメリカ人かと思ってたら、ドイツ人だったりフィンランド人だったり。アラブ系と十把一絡げにしても、国籍は様々ですからね。
 
 
 そういうところで暮らしていると、人種がどうのこうのとか、国籍がどうのこうのなど、言っていられなくなります。少なくとも私は、そう思います。世界はもっともっと広いし、もっともっと多くの人が暮らしています。そして、それぞれの人に家族があり、日常の生活があるのです。そう考えると、簡単に「○○人は...」ということが言えなくなりました。
 
 1ヶ月間でも1週間でも、そういう環境に身を置いてみると、また見えてくるものが違ってくるのではないでしょうか。特に、腹が立ったときがチャンスです。自分の小さな殻を打ち破る機会です。「なぜ、腹が立つのだろう?どういう考え方をしているのだろう?」そう問うことで、自分の考え方を意識することができます。
 
 もし、そういう自分が嫌だと思うなら、考え方を変えることです。「他の見方はできないだろうか?」そう問うてみれば、出来事を変えなくても、自分の考え方を変えることで、感情を変えることができることに気づきます。そして、自分自身が以前より大きくなったとわかるでしょう。成長するというのは、楽しいことですよ。