Pocket

 先日の記事で書いたPSY(サイ)の「江南(カンナム)スタイル」ですが、ネットで見るとイエローハットのCMのパクリだと書かれてましたね。ユーチューブでそのCMを見たのですが、たしかにそっくりです。馬乗りダンスもそうですが、曲のベースとなるリズムも。すごいですね。


 これに対して、パクリでしか良いモノが作れないのだという批判がありましたが、それは自らの首を閉めることになります。天に唾する(落ちてきて自分がかぶることになる)とは、まさにそのこと。だって、日本の技術的な繁栄も、すべて西洋のパクリから始まってますから。
 
 
 すでにあるものの中の良いと感じる部分を抽出し、自分の感性で仕上げる。それをパクリと呼ぶならパクリでしょうけど、パクられた側よりパクった方が世間から評価されたなら、そこにはそれなりの何かがあるはずです。パクられた方の価値が毀損されるのでもなく、パクった側の価値が減損するわけでもありません。
 
 もちろん、特許とか著作権の侵害ということであれば、それはその法律に基づいて判断されればよいだけだと思います。日本のお笑いにも「モノマネ」というのがあるじゃありませんか。特にコロッケさんのモノマネは、本人の特徴を見事に捉えて誇張し、新たな価値を作り出している感じで、素晴らしいと思います。パクリは、新たな価値を創造します。
 
 
 
 さて、今日は面白い記事を見つけました。アイドルグループのSKE48の松村さんが、google+に公開した動画が話題になっているというもの。その中で松村さんは、ファンからピアス穴があることを批判され、なぜそんなことを気にするのかわからないと言っているそうです。
 
 「ピアスの穴が開いてたら推し辞める(ファンをやめること)とか、バカじゃなないそんなの?」と、自分の考えを堂々と語っているようです。「鼻に開いているわけじゃないし、それは自由だと思うんですけどね。今の文化って、そんなに穴に対して否定的かな。」とのこと。
 
 
 それに対するコメントとして、「今どきピアスぐらいで騒ぐやついるんだね」とか、「日本だとグレてるイメージかな?」というものが書かれていたとか。「耳たぶに開けるのはセーフ、鼻に開けるのはアウト」というものも。アイドルに清純さを求め、黒髪、ピアス穴なし、できればすっぴんなどという、自分の価値観をコメントする人もいたようです。
 
 その記事に対するコメントも、面白かったです。まず、「バカじゃない?」と言ったことに対する批判がありました。アイドルとしては言ってはいけないことだと考えているようです。中には、「ピアス以外にも下半身もすでに貫通済みやろうなぁ」というゲスの勘ぐり的なものも。
 
 
 どうしても他の人に、自分の価値観を押し付けずにはいられない人が、これだけたくさんいるということなのですね。それは当人の松村さんも同じです。鼻ならダメだけど、耳ならOKというのも、自分の価値観。それが正当だと思うから、批判する人のことが許せないのではないでしょうか。
 
 誰がどんな価値観を持とうと、それぞれの自由です。その価値観によって、自分というものを表現しているだけなのですから。ですから、「ピアスはダメ」と考えるのもOKです。ただ、そう自分が考えることと、誰か他人を批判するというのは、別のことです。批判は、自分の価値観を押し付ける行為ですから。
 
 
 別に批判する必要性はないし、相手を変えようとする必要もありません。松村さんがピアスをしていることが気に入らないなら、黙ってファンを辞めたら良いでしょう。それだけです。ファンが減って、何とかしたいと考えて、穴を埋めるかもしれませんが、それも松村さんの自由だと思うのです。
 
 批判するのは、自分の価値観を重要視してほしい、つまり自分を認めてほしい、愛してほしいという気持ちの表れです。そんなにまで自分が寂しい存在だと感じていることが、その出来事からわかると思います。それを自分の問題として捉えるなら、その出来事は素晴らしくありがたいことになるでしょう。
 
 
 まあ、かく言う私も、以前は他人に対して批判的でした。いえ、今でもそういう面がかなり残っています。ですからこれは、自戒の意味を込めて書いています。他人を変えようとする試みは、自分を不幸にするだけです。自分が辛くなるだけなのです。そこに気づけば、自分を変える方向に導けるようになると思います。
 
 
 タイの女の子も、いろいろな子がいます。特にゴーゴーガールだと、耳ピアス、鼻ピアス、へそピアスなど、いっぱい穴を開けた子がいます。唇や舌、まぶたというのもいますね。また刺青も、多くの子が普通にやっています。最初の頃は、私もそれを嫌悪する気持ちがありました。けれども、毎日のように見ていると慣れるのです。
 
 美人は3日で飽き、ブスは3日で慣れると言いますが、奇抜な格好も見慣れてきます。慣れるということは、実はどうでも良いということなのだと思います。どうでも良いから、気にならなくなるのでしょう。顔の美醜も同じで、本質的にはどうでも良いことなのです。
 
 
 ついでに言えば、「下の穴が貫通している」かどうかも、どうでも良いことです。少なくとも明治くらいまでは、日本の文化に処女崇拝はありませんでした。西洋(キリスト教)の文化が入ってきたため、それに人々が洗脳されただけのことです。
 
 そうやって他人の価値観をいつしか自分の価値観だと思い込み、自分の本当の気持ちを無視するようになったのです。それによって自分自身が苦しんでいます。自分が苦しむ原因は、本当は自分が選択した考え方にあるのではないか?そう視点を変えてみれば、その答が見つかると思います。自分が苦しんだときは、自分を救う、自分が変わるチャンス(機会)なのです。