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 12月になりましたね。毎年のことですが、1年の過ぎるのが速いこと。もう1ヶ月もしないうちに、新しい年になります。明日は、プミポン国王の85歳の誕生日。王様は国民のお父さんですから、タイでは父の日になっています。また夜7時くらい(王様が生まれた時刻)になると、みんなでロウソクを持って、「チャイヨー!」と万歳三唱するのでしょう。


 タイ人たちは明日が祝日のため、今週はもうお休み気分です。だって、10日(月)も憲法記念日で休みですから、間の2日を休むだけで大連休になってしまいます。しかも父の日が入っているとなれば、田舎に帰る絶好のチャンスでしょう。と言うことは、ゴーゴーバーでも休んでいる子が多いかもしれませんね。
 
 
 さて、長年に渡ってゴーゴーバー遊びを続けている私ですが、気をつけていることがあります。それは、女の子に依存させないようにすることです。ちょっとピンとこないかもしれませんから、詳しく説明しましょう。
 
 まず、自分が相手に依存しないようにすることは重要です。依存すると溺れてしまい、身の破滅を招くでしょうからね。女の子に大金をつぎ込んで、最後には騙されていたなんて話は、それこそ腐るほどあります。私自身も、それに近いものは経験しています。(笑)幸い、破滅するほどではありませんでしたが。
 
 自己防衛のために、依存しないように気をつける人は多いでしょう。適度な距離感を保つ。所詮は遊びだと自分に言い聞かせる。そうやって、本気にならないようにするのです。自分でさえ、そうやって依存しないように気をつけるのであれば、相手が依存することへも注意を払うのは、自然なことではないでしょうか?私はそれを、自然なことだと考えるのです。
 
 
 だから私は、相手が私に依存することも警戒しています。たとえば、すごく気に入った子がいた場合、やはりその子を注目するし、ドリンクもご馳走するし、チップだってたくさんあげるでしょう。だってその子の素晴らしさによって感動させてもらったのですから、せめてものお礼をしたいじゃありませんか。
 
 しかし、その子からすると、それは普通じゃないくらいのお礼かもしれません。そうすると、それを特別な好意というように感じるでしょう。自分に特別な好意を寄せる人がいたら、だんだんと好きになるし、恋してしまうかもしれませんよね。そこまではOKです。恋は、いくつになっても楽しいものですから。
 
 ただ恋を楽しんでいるだけなら良いのです。けれども、それが依存に変わってしまうと、相手に執着することになります。手放せなくなるのです。いわゆる、「あなたなしでは生きていけないの。」という世界です。英語なら、「I need you.」でしょうか。「あなたが必要なんです。」
 
 
 人は、必要だと言われると嬉しくなるものです。「世間から必要とされる人間になれ。」などと言う人もいますが、必要とされると幸せを感じるからでしょうね。でも、それは間違っています。必要とされる喜びというのは、気をつけないと相手から力を奪い、相手を支配する結果になるのです。それは愛とは程遠いものです。
 
 また、必要とされる喜びに溺れると、今度は自分がそれに依存するようになります。必要とされることを渇望し、必要とされないことは価値がないことだと思い込んでしまう。すると、「無価値な自分なんて、この世からいなくなった方がいいんだ!」などと自己卑下し、自暴自棄になってしまうことに。
 
 
 ボタンと掛け違いなんですよね。たしかに相手は、お金が必要だと思っていたのでしょう。だからこちらも助けたいと思って、お金をあげたかもしれない。1回目、2回目は、それで良かったのです。けれど3回目になると、動機が変化してきています。お金をあげることが習慣化しているからです。習慣になると、文字通りに慣れるのです。
 
 相手はお金をもらえることを当然のように思い、こちらもあげることが仕方がないことだと感じる。もし、それをやめようとすると、相手は「なぜくれないの!?」と不満を言い、こちらは「今までしてやったことの恩も忘れて!」と恨みに思う。どちらにとっても、不幸なことです。
 
 
 だから、極めないことが大切だと思うのです。まだ余力を残しておく。もう少しできそうだと感じるところでやめておく。熱が冷めるまでしばらく待つ。文句を言われてもかまわない。相手にされなくなってもかまわない。相手が期待している日に、あえて行かない。
 
 十分に楽しんだ上で見返りをあげないのは、相手に対する裏切りだけでなく、自分自身への裏切りでもあります。自分で自分の価値を損なう行為です。だから私は、自分が楽しんだのに見返りをあげない、ということはしたくありません。それで「行かない」という選択をするのです。
 
 
 「そんなことをして何が楽しいの?」そう思われるかもしれませんね。たしかに、理解されないかもしれない。でも、いいのです。私は、そうすることが私らしいと思っているだけなのですから。自分が自分らしくあることが、最も楽しいことなのです。