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 年末年始で旅行客が増えていると思うのですが、私が行く店では、それほど客が増えた感じもありません。バカラやレインボー系に流れているのだと思いますが、馴染みのレインボー1の子も、「客は多いけど、みんな見ているだけ。」と言っていました。ゴーゴーバーでは見ているだけで、テルメとかへ流れているのでしょうか。


 たしかに今のテルメは、日本人御用達になってます。もう客の殆どは日本人のように見えるし、あちこちで日本語による会話が聞こえます。女の子たちも、やたら日本語を話すこと。以前ならタニヤ流れだとわかったのですが、最近はそうでもない子がいるので、何とも言えません。
 
 
 いずれにせよはっきりしているのは、あの子たちはけして素人ではありませんからね。どうも勘違いしている方が多いので、はっきりさせておきましょう。何を素人と定義するかによりますが、主たる所得が売春によるものである人を玄人と呼ぶなら、彼女たちはほとんど玄人です。だって、工場勤務の子なんて、給料は6千バーツくらいですから。週に1回働いて売春を日に1回やれば、それだけで給料以上のものがもらえます。
 
 やってる回数が少ないのを素人と呼ぶなら、ゴーゴーバーやカラオケだって、勤め始めたばかりなら素人だし、月に5回もペイバーされない子は素人でしょう。まあ、街中で普通の子をひっかけた気分に浸りたいのはわかりますが、そんな子と出会う確率はかなり低いでしょう。
 
 たまたま、友だちに誘われて来てみたという子がいればビンゴですが、仮にそう話したとしても、それが本当かどうかなんてわかりません。「いや、何も知らないみたいだし...。」初な子のふりをするとお客が喜ぶなんてこと、けっこう知られてますよ。夢をぶち壊して申し訳ないが、のめり込んで生活をぶち壊されるよりマシでしょう。
 
 
 さて、先日の1バーツさんの件です。あとで詳しく書くと言ったので、そのことについて書きます。1バーツさんが、Dちゃんにわけもわからず謝ったことに、私が違和感を感じたという内容でした。その理由を書きたいと思いますが、その前に、1バーツさんからメールで説明が届いたので、それを書いておきましょう。
 
> 外で接するDちゃんとバカラで接するDちゃんが私のなかで違うのです。別人とまでは言いませんが。
> 気持ち的には、謝って仲を戻せるのであれば謝りたい。そんな気持ちでした。
> 例えばどんな人でも、相手から「ありがとう」と言われれば嫌な気分にはならないですよね?
> 今回は「ごめんなさい」ですが、私自身、第三者から見て、私に全く非が無かったとしても、Dちゃんからみたらそうではないと思いました。
> お互い少しでも非が有るのであれば、最初に「ごめんなさい」と言われた側の人って、少なからず心境は変わると思うんです。
> 普段日本で働いている会社の社長からもそんな話を聞いていました。
> そして、タイミング的にも、Dちゃんが隣に座ってきて、何か言いたそう。でも言い出せない。
> ここで、本心から謝るべきだな。と思い謝ったわけです。
 
 
 思ったとおりです。1バーツさん、要はDちゃんの機嫌を取ろうとしたのですよね。悪いと思ってもいないのに謝ることで、彼女の気持ちをコントロールしようとしたのです。だから、その後も翻弄され続け、最終的には自分が疲れてしまうことになったと思うのです。
 
 間違えないでほしいのですが、1バーツさんが悪いとか、やり方がいけないと言っているわけではありません。ただ、こういうやり方をすれば、こういう結果になるのはしょうがない、ということなのです。
 
 
 いつも言うことですが、他人を変えることはできません。他人をコントロールすることはできません。ですから、そのために行う努力は、無駄に終わる可能性が十分にあるということです。その1回に関して100%失敗するとは言いませんが、十分に長い時間で言うなら、必ず失敗に終ります。なぜなら人は自由だし、それぞれ違うからです。
 
 「では、相手の機嫌を良くしてあげよう、喜ばせようとして、何かをしてはいけないとでも言うの?」そう言いたくなりますよね。そういうことではないのです。相手を喜ばせたいと思ってプレゼントを贈る。素晴らしいことじゃありませんか。私などもしょっちゅう、ドリンクをご馳走したりチップをあげたりしています。それもこれも、女の子たちに「わぁー嬉しい!」と思って欲しいからです。
 
 
 では、何が違うのか?それは動機です。Dちゃんとの出会いという経験において、1バーツさんが何を得ようとしたかです。もしそれが、Dちゃんが機嫌良く接してくれることによって得られる自分の楽しさであれば、自分の楽しさをDちゃんの機嫌良さに依存させたことになります。
 
 つまり、彼女が機嫌良くしてくれないと、自分は楽しくなれない。そう考えているのです。だからどんなことをしてでも、彼女の機嫌を直さないといけない。そのためだったら、自分の心を悪魔に売って、嘘偽りを言ってもかまわない。わかりやすく極端な書き方をしましたが、要はそういうことではないでしょうか?
 
 これはつまり、Dちゃんの機嫌良さに執着すると同時に、自分自身を裏切ったのです。自分の尊厳を捨てたのです。自分を大切なものだとして扱わなかったら、自分が喜べなくなっても当然ではないでしょうか。ましてや、目的としていたDちゃンの機嫌は、その場は直ったものの、あとは思い通りにならなかった。だから無気力な状態になったのではありませんか?
 
 
 もしこれが、Dちゃんをコントロールする目的ではなかったらどうでしょう。Dちゃんは、何らかの理由で怒ったのです。その理由は納得できるものではありませんが、どうやら原因は1バーツさんにあると彼女は思っています。怒るということは、「苦しい、助けてくれー!」という悲鳴と同じです。助けを請われたら、助けたくなるのは人の本性です。そう考えたら、どうするでしょう?
 
 「あなたがなぜ怒るのかはわからないけど、もし私の何かがあなたを傷つけたのだとしたら、それは本意ではありません。私が気づかずに怒らせてしまったとしたら、そのことにはお詫びします。」そういうことを言って、あとは相手に任せるでしょう。あるいは、ただ黙ってその場を立ち去り、相手に静かに考える環境を与えようとするかもしれません。相手が機嫌を直すかどうかは、相手自身が決めること。そこまでタッチするのは、相手の自由を奪うことだという認識です。
 
 相手を自分の思い通りにさせようとしてそうならなかったら、誰でもがっかりするでしょう。力が抜けてしまいます。でも、相手が相手らしく自由であることを喜んでいたら、どうしてがっかりするでしょうか。「へぇー、そんな風に考えるんだー。おっもしれー!」返って喜ぶかもしれません。いや実際、Dちゃんの思考回路は、頭の中を覗きたくなるくらい面白いです。
 
 
 もう1つ言うと、なぜ1バーツさんはDちゃんと出会ったのだと思いますか?偶然ですか?そう思っている間は、同じことを繰り返すでしょう。まあそれも、楽しいものです。もし必然だとしたら、Dちゃんとの出会いは、1バーツさんにとってどんな意味があったのでしょう?別の言い方をすると、Dちゃんという天使(悪魔ではないとしたら)は、1バーツさんにどんな贈り物を与えてくれたのでしょう?
 
 見方を変えてみることです。そうすれば、怒りが喜びに、失意が希望に変わるでしょう。人生に無駄な出会い、無駄な経験というものはありません。ただそれを、無駄だったと考える人がいるだけです。どんな意味でも与えられます。贈り物を、金の斧にすることもできるし、鉄の斧にすることもできます。すべては自分次第なのです。
 
 
 さて、今年もこのブログをご覧くださって、どうもありがとうございました。年末年始はバンコクにいて、あちこち遊びに行きますが、ブログの更新は、年内はこれが最後になると思います。来年また、元気でお会いしましょう。みなさん、どうぞ良いお年をお迎えください。