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 新年になって、たくさんのメールをいただいています。ほぼ1年ぶりなんて方もおられて、懐かしく思いました。年末年始にタイ旅行された方もおられるし、これから行きますという方も。たまにはメールでも出しておこうか、という気持ちが嬉しいですね。


 いただいたメールには、今のところすべてお返事を差し上げています。ただ一部、スパム設定などの影響で、返信メールが届かないことがあるようです。もし私からの返信が届かない場合は、スパム設定をご確認いただくとともに、確認のメールを再度いただけるとありがたいです。読者のあっきーさん、「sp-mail.jp」というところが私の返信をブロックしているみたいですよ。
 
 
 さて、新年の第2弾も、核心に迫るタイトルでお届けします。堅苦しい話は嫌だなという方は、どうぞ読み飛ばしてくださいね。でも、後悔しますよ、きっと。だって、これを知っているかどうかで、夜遊びの楽しみ方が完全に変わってきますから。夜遊びが変わるということは、すなわち人生が変わるということです。
 
 
 というように釣っておくと、95%の方は読み進めるでしょうね。(笑)まあ、読まれるかどうかは、その人の自由です。と言いますか、どう考えるのか、何をするのかも、実はその人が自由に決めているのです。そして、その時点のその人にとって不要なことはしないのですから、すべては完璧なのですよ。
 
 それを逆に言うと、今、ここまで読み進められた「あなた」は、自分自身で決めてこれを読まれているということになります。そしてさらに言うなら、「あなた」がこのブログ記事を読むという出来事を引き寄せたのです。このブログ記事との出合いは、「あなた」にとって必然だと言うことです。
 
 
 ここで、「なんだ、とんでも話か。じゃあ読むのやめよう。」と思われる方もおられるでしょうね。OKです。何の問題もありません。私には「あなた」に、これを読み進めさせなければならない必要性はありませんから。それでも読まれるとしたら、それは「あなた」の意志、それも自由に決めた意志によるものです。
 
 つまり「あなた」は、自分の自由意志でこのブログ記事を読むことを選び、そしてその内容を知り、それについて考えるのです。誰から指図されたわけでもなく。どうしてですか?「暇だったから。」「面白そうだったから。」「ジャンメダイがおかしなことを言うから、間違いを指摘してやりたかったから。」
 
 様々な理由があるでしょうけど、それもまたポイントです。人は、それぞれの理由によって考え、行動するのです。その理由を選ぶ基準は何でしょうか?それまでの生き方かもしれないし、その日の体調かもしれません。それを1つに特定できないとしても、1つだけはっきりしていることがあります。それは、すべて「あなた」自身が関わっているということです。
 
 
 同じ出来事に対して、人それぞれに感じ方や受け止め方が異なります。それは、考えてみればわかると思います。電車の中で子どもが騒いでいるとき、「うるさい。迷惑だなあ。」と感じる人もいれば、「元気でかわいい子だなあ。」と感じる人もいます。また、その程度もさまざまでしょう。
 
 また同じ人であっても、時と場合によって感じ方が違います。普段ならまったく気にならない車の騒音が、あるときはとても気になって眠れなくなる。そんな体験は、誰にもあるでしょう。車の騒音が変わったのでしょうか?違います。その人の感じ方が変わっただけです。
 
 
 ではどうして、人によって、時と場合によって、感じ方が変わるのでしょうか?実はそれは、その人が自由に、好き勝手に決めているのです。「いやいや、そんなこと考えてないよ。自然とそう感じるだけだもの。」そう言いたいかもしれませんが、それは違います。
 
 自分では抵抗しがたい何かによって、そう感じさせられていると思えば、自分がその責任を負わなくてすむから楽だと思うかもしれません。実際そういう人たちは、何かあると犠牲者のふりをします。「あの上司が悪いんだよ。」「また雨かよ。ツイてないなあ。」何かにつけ、他人や環境のせいにして、それによって自分が犠牲者になったと主張するのです。
 
 それは責任を負わない点では楽なものの、自分ではどうにもできない苦しさを味わわなくてはなりません。まあそれがあるから、居酒屋は流行るのかもしれませんね。サラリーマンの不平不満と愚痴のオンパレードですから。
 
 
 けれど、いくら不平や不満を言い、愚痴を並べても何も変わりません。それは、他人は変えられないからです。そしてもっと重要なのは、その出来事を選んだのは「あなた」自身だからです。「あなた」が自分の自由意志で、自分の人生を創っているのです。
 
 そんなことを、少しは感じたことがあるのではありませんか?「オレって、どうしていつもこうなんだろう?」そう感じることがあったでしょう。人は、同じような経験を繰り返すのです。なぜなら、自分にはその経験が必要だとわかっているから、あえてその経験を選んでいるのです。だとしたら、他人や環境に抵抗しても、無駄なことだと思いませんか?
 
 
 「じゃあ、どうしたらいいって言うんだよ?」そう聞きたいでしょうから、お答えします。まずは、自分が人生の原因だと認めることです。すべての原因は自分にあります。出来事のすべては自分が引き寄せ、自分が経験しようとしていることなのです。受け入れがたいこともあるかもしれませんが、まずはそう受け入れること。そうすれば、それがわかるようになります。
 
 そして、それを変えたいと思うなら、抵抗しないことです。批判や非難は、対象に抵抗することになります。抵抗すれば相手は力を得て、さらに存在し続けるでしょう。そもそも自分が原因で存在しているのだとしたら、批判するのはおかしなことだと思いませんか?抵抗などせず、さっさと変えてしまった良いのです。
 
 仮に想定外と思える出来事でも、どこかで自分が関わったのです。ならば、「こんなんでちゃいましたか。」とでも言って、まずは受け止めることですよ。そしてそこに、意味を与えることです。「なぜそんな出来事が現れたのか?」その意味を、自分らしくあるのにふさわしい意味を与えるのです。
 
 
 賢明な読者のみなさんなら、もうおわかりですね。私が普段から言っていることです。ひどい出来事があったとき、「あの女が悪いんだよ。」と考えても何も解決しません。相手のせい(原因)だということは、自分にはどうにもならないと言っているのと同じですから。それでは同じ経験を繰り返すだけでしょう。
 
 それに、相手が悪いと考えると、少しくらいは報復しても当然だと考えてしまいます。それって本当に、自分らしいことですか?考えていて、やっていて、本当に気持ちがいいですか?それに答えられるのは、自分だけです。真実を知っているは、自分だけです。他の誰かをごまかすことはできても、自分自身をごまかすことはできません。
 
 
 そういうときこそ、自分の内側に入って行くときです。自分自身と対話することです。「これが本当のオレなのか?」「これが自分らしい自分なのか?」「これが楽しいことなのか?」そうすれば自ずと、答は出てきます。その答が、本当にその問題を解決してくれるのです。
 
 ただしそこでも、最後の抵抗があります。あなたの心は、本当の自分らしさを見つけて、答を出すかもしれません。けれども、あなたの頭が抵抗するのです。「おかしいじゃないか。悪いのはあいつだよ。どうしてオレが折れなきゃいけないの?」だからまず、出来事の原因は全面的に自分にあることを、受け入れなければならないのです。
 
 
 私が長い間、夜遊びをしてきた中で得られたのは、要はそういうことでした。理不尽な目に何度もあいながら、もがき苦しみながら得られた、これが私の真実です。このことが、「あなた」の役に立つかもしれないし、あるいは役に立たないかもしれない。それを決めるのは、「あなた」自身です。「あなた」にとっての真実は、「あなた」自身の中にあるのですから。