Pocket

 時計の針が夜の10時を指すと、4~5人の美女たちがさっそうとステージに上がってくる。彼女たちはコヨーティー。プロのダンサーだ。脱ぐのではなく、その踊りで客を魅了する。その中に1人、ひときわ背が高く、目が大きい女性がいた。名前をジョイと言う。


 
 その店は、ソイカウボーイにあるティーラックだった。大改装によって、店内は青い光を基調とした、まるで海の中の竜宮城のような雰囲気になった。映画「The Hangover 2(ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える)」では、ソイカウボーイのゴーゴーバーとして登場するが、残念ながら店の名前は伏せられている。なお、映画に出たようなイチモツをつけたLB(レディーボーイ)は、この店にはいない。
 
 そこに、数年前からコヨーティーと呼ばれるダンサーがやってくるようになった。週末の金曜と土曜の夜10時から閉店まで、ゴーゴーガールたちと一緒にステージで踊る。彼女たちは容姿も素晴らしかったが、何よりもそのダンスがすごかった。その影響で、ゴーゴーガールたちもよく踊った。ビールと音楽とダンス。これを楽しめる最高の店になったのだ。
 
 
 ティーラックのステージは、高さが1mはあるだろう。十文字状になっていて、1曲ごとにダンサーが踊るポジションを変える。コヨーティーが登場すると、1曲ごとにコヨーティーとゴーゴーガールが、十文字状のステージの先端部分と中央部分とで、踊る位置を変えていくのだ。先端は半径50cmくらいの円形になっていて、その中央にはポールがある。けして広いとは言えないスペースだ。
 
 限られた狭いスペースでもジョイは、そのポールを背にして踊る。やや開いた足の先端は、ステージからはみ出すこともしばしばだ。身長は165cmはありそうだが、その上に高いヒールを履いている。もしヒールのかかとがステージから外れたら、転落して大怪我する心配もある。(実際に転落した子がいる。)それにも関わらず、大胆なダンスを見せてくれるのだ。
 
 
 壁や柱は鏡張りになっているので、ダンサーはそこに映った自分を見ながら踊る。私はステージ脇のカウンター席に座って、見上げるようにして彼女たちのダンスを見る。ステップを踏みながら音楽に合わせて腰を振ったり手を動かすだけではない。特にジョイは、頭を大きく動かすのだ。よくあれでバランスがとれるものだと感心する。
 
 彼女のダンスをひとことで言うなら、「かっこいい」につきる。見ていて惚れ惚れするのだ。セクシーとかではなく、「すっげー!」と叫びたくなる。他にも特徴のあるコヨーティーが何人もいて、私はこの店が好きだった。中でもジョイのダンスには、心底しびれたのだ。
 
 
 彼女のダンスを見ながら、私はふと古事記にある物語を思い出した。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸にお隠れになった話だ。神々はその対策を協議した。そして、お隠れになった岩戸のすぐ外で宴会を開くことにした。天照大御神が何ごとかと興味を持たれて、岩戸のすき間から覗かれる瞬間を待つのだ。そして出てこられた後に岩戸を封印し、二度と入れないようにしてから、お願いするという作戦だった。
 
 その神々が集まる大宴会の中心で、半裸状態で楽しそうに踊ったのが天宇受売命(あまのうずめのみこと)という女神だ。神々は心からこの踊りを喜び、やんやの喝采を送ったという。今まさに、その物語が実演されている。そう錯覚するほど、ジョイのダンスは素晴らしかったのだ。この時から彼女は、私にとっての女神となった。
 
 
 エアコンの効きが悪い時は、汗をかきながらも彼女は踊ることをやめない。うっすらと汗が浮かんだ背中に、私はえも言えぬ美しさを感じた。おそらく他の子と比べて、特別きれいだったわけではないだろう。私が彼女に恋をしたから、それが美しく見えたのだと思う。
 
 大きくつぶらな瞳で正面を見据えて踊るとき、その眼力(めぢから)にも圧倒された。吸い込まれてしまいそうな目。それで私はついつい見入ってしまうのだが、するとジョイが私の顔を覗き込むようにして笑う。「こっちを見るなよ。恥ずかしいじゃないか。」そう思いながら、怒ったような顔をしてみせる。そんなわずかなコミュニケーションが、私のお気に入りのときだった。
 
 
 彼女は、ティーラックで3年くらい踊っていただろうか。その間、私はほとんど休むことなく、週末にティーラックへ行った。たまに彼女が休んでいるときがあると、なぜか心にポッカリと穴が開いたような気がした。そして私は、改めて思うのだった。「やっぱり彼女と会いたくて、ここへ通っているんだなあ。」
 
 あるときから、ぱったりと彼女の姿を見なくなった。聞くと、ティーラックで働くのを辞めて、他で働いているという。ファラン(西洋人)の彼氏ができて、彼氏がコヨーティーとして働くことを好まないからだとか。「もう、あのダンス姿を見ることはないのか。」そう思うと、なんだかとても残念に思えた。けれども、それが彼女の望みでもあるなら、私は彼女の幸せを祝福したいと思った。
 
 
 彼女の姿を見なくなって1年以上がたったある日、私はソイカウボーイのスージーウォンという店にいた。この店では夜10時からショーがあり、ファランの客に絶大な人気がある。この日も、ソファー席がほぼ埋まっており、ステージ脇のカウンター席にもぽつぽつと客が座っていた。
 
 そのとき、男性2人と一緒に、白い服を来た女性が入ってきた。その女性の顔を見たとき、私の心に懐かしさが込み上げてきた。「ジョイだ。」男女3人連れは、案内されてカウンター席に座った。西洋人ぽい顔たちの彼女は、ファランの男性と一緒にいても釣り合っている感じがする。より親しそうにしている男性が、おそらく彼氏なのだろう。実にお似合いのカップルだ。
 
 私はしばらく、ステージよりも彼女ばかりを見ていた。ただただ懐かしかった。ステージなどどうでも良かった。今さらどうこうしたいわけではない。ただ、彼女を見ていたかったのだ。隣の男性と楽しそうに話す彼女の横顔を見ながら、私は満足感に浸っていた。きっと幸せなのだろう。それなら、それで十分だ。
 
 しばらくして、ステージではショーが始まった。座る場所がなくて、立っている客もいる。そろそろ潮時か。私は彼女に挨拶することもなく、精算して店を出た。今さら彼女に私のことを知らせる必要もない。彼女が幸せなら、それだけで十分だから。彼女もまた、私が愛した最高の女なのだ。