Pocket

 先日、「エスコート代の値上がりの件」と題してメールをくださったPhetKasemさんです。そのことに関連して読んでほしいということで、体験記を送ってくださいました。さて、どんな出来事があったのでしょうか。


◆・・・・・・・・・・・・<読者投稿>
わたしは今回1月の14日(大雪の日)から20日まで訪タイしましたが、到着した夜に遊びに行っただけでした。
今回の訪タイは、ゴーゴーには行くのをやめようと思ってました。
今のゴーゴーは若い男の子の客が多く、還暦過ぎの爺が一人で遊びに行く様な所じゃないです。
 
そんな訳で久し振りにソイ7のビヤーガーデンに行ったんです。
ここは、私の分身がまだ現役だった頃、訪タイのたびに毎日のように入り浸っていたところです。
その当時は日本人なんて絶対見たこと無かったんですが、最近はたまにいますよね。
 
でもそんな日本人を見てると、女の子と外に出て行く人っていないですね。
やはり、ここは日本人には壁が高いのでしょうか。
わたしはそんなスリルが好きでここに入り浸っていたんです。
同じ様なお店のテーメーだって、日本人相手でしょうからスリルって無いです。
まー、自分が納得すれば何処だろうが、誰だろうが、幾らだろうが良い事です。
 
 
ここの女の子は奥に行くに従って古株や若い子を仕切っているお局さんですよね。
一回り徘徊?して、いや、三回りはしました。
やっぱり真ん中辺りの可愛い子はファランが独占状態で、左奥のテーブルにいる古株たちだけが声をかけてきます。
 
まだ時間が早かったので栄ちゃんに行って晩飯食べて又、出直そうと思って出口に向かっていくと、一番手前に童顔の女の子が水飲んでるんです。
ちょっと子豚なんですが優しい顔してるんで、隣に座って話をしたんですが英語しか出来ないんです。
当たり前ですよね。
ここで日本語出来る娘を探すのは至難の業ですから。
 
じゃ、パイキンカーオ(食事に行こう)って言って栄ちゃん(※居酒屋の名前)に行ったんです。
そしたら、栄ちゃんのママが私の連れを見るなり優しそうな娘ねって。
やはり、タイ人どうし顔を見れば分かるんでしょうね。
 
 
そんなこんなで結局6日間一緒にいました。
そして、肝心なお代なんですが、幾らって欲しいって聞いたら、幾らでもいいって言うんです。
やっぱり、ちゃんと決めなきゃいけないよって言っても、あなた次第って言うんです。
 
こういう事なんでしょうか。
日本人が集まって来るお店では欲しい金額は稼げるって、彼女達はもう学習してるのでしょう。
 
彼女達はいつもバンコクにいるし、私たち日本人はたまに行くだけです。
それも日本では出来ない事が出来るんです。
言い値でも払ってしまうんですよね。
 
 
私は最後の日に、一日当たりゴーゴー嬢のショートにも満たないお金(10000バーツ)を渡しました。
そうしたら彼女は驚いた顔をして、そのお金を胸に抱くように私にワイをしたんです。
ファラン相手の相場は私は知りません。
彼女は若さや綺麗さで、そんなに稼げないのは分かります。
しかし最近の日本人相手のお店とは極端に違うという事が分かります。
 
最後の日に日本にお土産を買うのでBIG-Cに行ったんです。
何か好きなもの買って良いよって言ったら、粉石鹸やシャンプー、リンス、乾電池などを買うんです。
そしてソイを歩いていたら草木の屋台があったんですが、そこで鉢植えを買ってって言うんです。
ママにお土産にしたいって。
 
携帯電話(古い形)の中の写真を見せてくれました。
それは、本当にこんな家がまだあるのって感じの掘立小屋の様な感じです。
まさか、乾電池を買ったのは電気が来てないんでしょうか。
彼女はブリラム出身で、そこにはお母さんと子供がいるようで、たまに出稼ぎに来ているんでしょう。
 
 
次の日スワンナプームまで見送りに来てくれて、また会いに来てってブリラムの住所を書いた紙きれを渡すんです。
出来る事ならまた、会いたい娘です。
彼女は今38歳です。
私が選んだ娘では一番年長でしょうね。
最近思うんですが、年齢や姿形じゃないって。
優しさなんでしょうか。
 
自分が納得すれば良いんです。
そんな彼女は私のよりも大きい荷物を引き摺り、鉢植えを抱え今からブリラムに帰るって言ってました。
洋服や靴、バッグなど欲しがらずに、粉石鹸やシャンプーなどで満足する娘が居ると思うと、バンコクの夜の奥深さを改めて認識した今回の訪タイでした。
◆・・・・・・・・・・・・<読者投稿>
 
 
 私、この投稿を読みながら、不覚にも泣きそうになりましたよ。もちろん、その子の純真さもそうですが、自分がPhetKasemさんの立場だったらどうだったかを想像して、切なくなったのです。
 
 だって、いじらしいじゃありませんか。慣れてないからとも言えますが、好きな物を買っていいよと言うと、乾電池とか粉石けんなど生活用品を買うのです。それだけ、日々の暮らしをちょっと良くするだけのものも、なかなか簡単には買えなかったのでしょう。そんな姿を見たら、もっとあげたくなりませんか?
 
 
 でも、思うのです。もしここでもっとあげたら、この子は自分のことを神様のように思うだろうって。そして、知らず知らずに自分に依存してしまうかもしれない。また、そうやって依存されたら、自分もさらにのめり込んで、その子に依存してしまうかもしれない。そうなったら、お互いに不幸になるだけ。
 
 相互依存の悪循環を断つために連絡しなくなったら、その子は自分を恨むでしょう。誰かを恨むということほど、辛い経験はありません。そんなことをさせてしまうのも、最初に哀れに感じた感情を埋めるために、不用意にあげすぎてしまったから。悪いのはその子じゃない。自分だ。・・・
 
 
 そんな物語を勝手に想像しながら、切なくて涙が出そうになったのです。「ケチ!」と呼ばれたいわけじゃないけど、「優しい人ね」と呼ばれるのも嬉しいようで何だか辛い。あえてショート6回より少ない金額を選択したPhetKasemさんの思いを想像しつつ、私の記憶とダブって泣けてきたのでした。
 
 投稿の趣旨と違っちゃったかもしれないけど、感じ方もまた人それぞれですから。どんな感じ方であれ、その人に深く考えさせる出来事というのは、やはり素晴らしいものだと思います。PhetKasemさん、素敵な話をありがとうございます。