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 3月は卒業のシーズンです。今まで通い慣れた学校へ、もう行くことがないんだなあと思うと、何となく切ない気分になりますよね。それ以上に、級友や恩師と会えなくなることを、とても寂しく感じるかもしれません。出会いがあるから別れがあると知ってはいても、なかなか辛いものです。


 
 仏教では、人生は苦であると言います。四苦八苦と言われるように、根源的な4つの苦しみである生老病死(しょうろうびょうし)と、付随するさらに4つの苦しみがあります。その付随する4つの苦しみは、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」と呼ばれ、根源的な四苦と併せて八苦と呼ばれるのです。
 
 この中の「愛別離苦」が、好きな人と別れなければならない苦しみです。どんなに好き合っていたとしても、別れなければなりません。そのときは必ず来るのです。なぜなら、人間は死亡率100%だから。仮に人生80年だとしても、80年間別れずにいられると保証されているわけでもありません。死は突然やってくることもあります。それにもちろん、間を裂くのは死ばかりでなく、さまざまな事情があるでしょうから。
 
 
 相手を必要とする度合いが強ければ強いほど、愛別離苦の苦しみが増します。たとえば子どもが母親を必要とする度合いは、これほど強いものがあるだろうかと思うほど強力なものです。ですから母親から無理やり引き離された子どもは、それをトラウマとして、大人になっても持ち続けることが多いのです。
 
 それは物理的に母親から引き離されるだけでなく、心理的に引き離される場合も同じです。母親から怒られる、無視される、馬鹿にされる、虐待されるなど。愛情を与えられないということが、心理的に引き離されることになるのです。それだけ子どもは、母親の愛に依存しているのです。
 
 このように、愛する人との別れは人間の根源的な苦しみであると、お釈迦様は見抜いていました。しかし、その苦しみでさえ実は幻想であると言います。またそれは、自分自身のためでもあります。そして、正しく見ることで脱却できるものなのだと、進むべき方向まで示しているのです。
 
 
 このことは、別に仏教を教わらなくても、多くの人が体験的に知っていると思います。それは、時間が教えてくれる真理です。息もできないほどに悶え苦しんだのが、時間の経過とともに、その苦しみがやわらいできます。事情は何も変わっておらず、ただ時間が経過しただけなのに。忘却ということが、どれほどありがたい能力であるかを知るのです。
 
 そして一定の時間が経過した後で振り返ってみると、なぜあんなに苦しんだのだろうと、不思議に感じたりもします。知らず知らずに、多くのことを学んだことに気づくのです。それは特に、次の新たな出会いのときにわかります。辛かった別れの経験が、実は自分を大きく成長させてくれていた。そのことに気づくのです。
 
 
 仏教的に言うなら、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と「諸法無我(しょほうむが)」です。これが仏教が示すこの世の真理です。諸行無常は有名な言葉ですからご存知でしょう。すべてのものは変化するということです。変化こそがこの世の本質であるという真理です。
 
 諸法無我は、自分というものは実態のないものだということです。つまり幻想だということ。本質的には、これが私であり、あれは別の人だというような区別はなく、すべてが一体であるという真理です。したがって、出会いというのも幻想であるし、別れというのも幻想なのです。
 
 そういう実態がないものにとらわれ、執着してしまう原因が「煩悩(ぼんのう)」です。ですから煩悩を捨て、幻想を幻想と見抜くことによって、人は四苦八苦から解放されて涅槃(ねはん)に至る。これを悟りと言います。つまり人は、人生の中で真理を学ぶことによって、あらゆる苦しみから解放されるというわけです。
 
 
 では、その真理を学ぶきっかけを与えてくれるものは何でしょうか?実はそれが苦しみなのです。苦しむからこそ、私たちは真剣に真理を求めるのです。私たちがその真理に気づくまで、何度も何度も似たような体験をさせられます。それは偶然ではなく必然です。私たち自身が、自分がその真理に気付きたくて、必要な経験を引き寄せているのです。
 
 それがわかると、苦しむことが喜びになります。(マゾじゃありませんからね。)苦難をありがたいと感じるようになります。別れの悲しみを、辛さを、喜んで抱きしめるようになるでしょう。その人を懐かしみながら、喜んで解放するでしょう。人生とは、その出会いと別れを繰り返しながら、真理を学んで自分を進化させる場なのです。
 
 
 夜遊びブログに似つかわしくない話題だと、思われるかもしれませんね。けれども、このことが、私が夜遊びの中で学んできたことです。夜遊びは人生の縮図です。悲喜こもごもが濃縮され、短時間で強烈な体験をさせてくれる場です。私はそう考えるから、私にとっての夜遊びはそうなのです。
 
 もちろん、それが唯一正しいことだなどと言うつもりはありません。人それぞれです。これは私にとっての真理であって、誰もが同じ真理を持つべきだとも思いませんから。あなたは、あなたの真理を見つければ良いのです。たかが夜遊び、されど夜遊び。別れのシーズンに、そんなことを考えてみました。