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 大阪の橋下市長の発言が、まだまだ尾を引いているようですね。このことについては、「自由に生きる!」ブログでも「結果を否定しても解決しません」というタイトルで書きました。そこでは、アメリカなどの外国が橋下市長を批判したことに対して、建前論で真実を覆い隠しても、ものごとは解決しないという視点でお話しました。今回は、またちょっと別の視点で取り上げます。


 
 以前から言っているように、私は売春を悪いこととは思っていません。「002 売春について」をお読みいただければ、そこに詳しく書いてありますが、理由を端的に言うなら、それは人権侵害ではなく、単に商売だからです。客がほしがるサービスを提供して、その対価を受け取るだけ。そして、その取引きは完全に自由であって、誰にも迷惑をかけないからです。
 
 「いや、彼氏が買春したら、彼女は迷惑を被るでしょう?」と言いたい気持ちはわかりますが、それはその取引きとはまったく関係がない話です。たとえば、カレーが大嫌いな彼女の前で、彼がカレーを注文したら、彼女は迷惑を被りますよね。でもそれは、カレーを提供した店が悪いのですか?そうではないでしょ?それと同じことです。
 
 しかし、どうもまだ人権侵害と売春の区別がつかず、味噌もクソも一緒くたにして批判する人が大勢いるように感じました。だから橋下市長が、慰安婦容認の風潮があったという事実を指摘したことに対しても過敏に反応し、まるで彼が人権侵害の扇動者であるかのように非難したのです。
 
 
 「こどもの権利を買わないで」という話題になった絵本があり、それを見る機会がありました。だいたい予想した通りの内容で、ちょっとがっかりしました。騙されて連れ去られた少女が、「もっと稼げる」という甘い言葉に誘われ、そうとは知らずに売春させられるという話です。そして、そこで知り合った友だちがエイズにかかり、死んでしまうという結末です。
 
 その絵本の最後に、これはフィクションだが、事実を基にして作られたものだとあります。そして、「いわゆる「売春ツアー」というものさえある」として、まるで売春そのものが悪いのが当然であるかのように書かれています。こういうように、本来まったく別の事象であるにも関わらず、それを同じものであるかのように扱い、否定しようとする人が多いようです。けれど、このやり方では何も解決しないでしょう。
 
 
 この絵本で本来問題視しなければならないのでは、「子どもの自由が侵害されている」という事実です。その結果、売春をさせられたかもしれませんが、それは売春でなくても、単に労働でも同じことだと思うのです。本来自由が保証されなければならない子どもの人権を、私たち大人が、自分たちの都合で守っていないことが問題なのです。
 
 もちろん、そうやって子どもの自由を守ってやったなら、結果として子どもの売春は減るでしょうし、おそらくなくなるでしょう。そのことには異存ありませんし、そうなるべきだと思います。けれど、売春が悪いからやめさせるわけではないのです。売春をしたいかどうかもわからない子どもに、売春を強制したり、あるいは騙して勧めたりすることが問題だと思うのです。労働が悪いのではなく、強制労働が問題なのだということです。
 
 
 「では、子ども自身が売春したいと言ったら、それはやらせてもいいのか?」究極的には、そこに行き着くと思います。まずは子どもの定義をしなければならないでしょう。私は年齢で一律に子どもとは決めつけられないと考えますが、社会的な基準を定める必要があるなら、それも仕方ないことかと思います。それぞれの成長度合いが異なるのに、肉体の健康に問題があるからと言って、未成年の飲酒喫煙を禁止するのと同じ論理です。
 
 でもこれは、本質的には子どもかどうかに関係ありません。その人の意思かどうかが問題なのですから、子どもでも大人でも同じなのです。ですから、その人の意思をどう判断するかという問題になります。つまり、仮にその人が自分の意志だと言った場合でも、それが本当かどうかをどう判断するかという問題です。
 
 
 まったく自由が保証され、生活の不安を始めとする基本的な不安がない状態における判断なら、私はそれを、純粋にその人の意志だと言って良いと思います。逆を言えば、たとえば崩壊した家庭で育ち、自暴自棄になっている子の意思は、本来のその子の意思とは言いがたい、と言うことです。
 
 けれども、たとえそうであったとしても、最終的に尊重されるべきは、その人の意思だと思うのです。いくら判断力が劣っているといっても、それなりの時間をかけ、じっくりとわかるように言い聞かせるなら、その判断をするための基本的な材料は、その人の中にあると考えるべきでしょう。その条件がわかった上での判断なら、その人の意思として尊重されるべきだと思うのです。
 
 具体的に言いましょう。たとえば売春をするかどうかについて、それをすることでどうなるという予想や実例をわかりやすく示し、そのことを理解した上でその人がやりたいと言うなら、その思い通りにさせたら良いと思うのです。もちろん逆に、やりたくないと言うなら、それを尊重しなければなりません。
 
 
 暴力や脅しによって強制することはもちろんのことですが、騙して何かをさせるということも、その人の自由を奪うものです。また、充分な情報を与えないということも、騙すことに準じています。そして、充分に愛してやらないことで精神的に不安定な状態にさせることも、子どもの自由を奪う原因となっています。
 
 これは子どもでなくても、大人でも同じことです。大人なら、自分でなんとかできるという見方もできますし、それはそうなのですが、それでも他者からの影響があるものです。ですから、強制したり、騙したり、情報を与えなかったり、不安を与えるなどがあれば、それは自由を侵害しているのです。
 
 
 「言うことを聞かないなら、おまえはもううちの子じゃないからね!」そう言って子どもを怒る親は、子どもの自由を侵害しています。それは、子どもが自由意思で売春をするより、もっと悪いことだと私は考えます。誰かの自由を侵すことは、その人の生命を否定するのと同じことですから。人とは生命であり、人は自由だからです。
 
 そう言うと、必ずこう言って批判する人がいます。「それは自分の子どもが売春することを考えていないから言えるんだろう!?」私の答はこうです。「たとえそれが自分の子であっても、その子の意思で決めたことなら、私は尊重します。それが売春であろうと、何であろうと。その子にはその子の自由があるし、その自由を喜ぶことが愛だから。そして私は、愛でありたいと思うからです。」
 
 
 将来、あらゆる人の自由が守られる世の中になったとき、売春は時代の遺物として捨て去られることになるかもしれません。それはそれで、喜ばしいことだと思います。けれども、それは強制して成し遂げられることではありません。強制とは、それがどんな強制であっても、他者の自由を奪うことだからです。すべての人の自由が保証された結果として、売春のない社会が生まれるのでなければ、この問題は解決しないと思うのです。