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 反タクシン派のデモは、ついに一線を超えてしまったようですね。政府機関の占拠という暴挙に突っ走りました。政府は、暴力的な排除はしないと言っていますが、この事態がどう収拾するのか、まったく読めなくなっています。
 
 日本でも盛んに報道されていることもあって、タイへの旅行を取りやめた人が多いのでしょう。昨夜などはどこも、日本人客が少なかったそうです。タイに住んでいる者からすれば、そういうデモをやっているところに近づかない限り、まったく問題ないと思うのですけど。遠い日本でニュースを見聞きしているだけの人からすれば、すぐにでも内戦になりそうだと感じるのでしょうか。
 
 ただ、だからと言ってまったく心配ありませんよと言うつもりもありません。前にも書いたように、反タクシン派のPAD(黄シャツ)は、空港占拠という最低のことをやってくれましたから。あのトラウマがある限り、旅行者は安心できないでしょう。数日、帰国できなくなっただけでも、影響が大きいでしょうからね。
 
 でも実際は、なんとかなるんですよ。それを読者投稿してくださったキャシャーンさんが証明しています。キャシャーンさんの場合は飛行機のトラブルでしたけど、理由がなんだろうと関係ありません。要は1日、帰国を伸ばすことになった。それだけのことです。そしてそのことによって、素晴らしい体験を手に入れられたのです。
 
 
 まあこんなことを書くと、他人ごとだからそんなことが言えるのだろうと、お叱りを受けるかもしれません。それを覚悟の上で、やはり本音で話させていただきます。
 
 人生は、何が起こるかわからないんですよ。タイで暴動に巻き込まれる心配をする暇があったら、今日、交通事故で死ぬ心配はしないのですか?と言いたいのです。隕石が落下してきて、当たるかもしれませんよ。通り魔が襲ってくるかも。
 
 バカにしてるのかと怒る方もおられるでしょうけど、そうではありません。確率の問題だと言う方もおられるでしょうけど、仮に確率がものすごく小さくても、当たった時は死ぬしかないんです。だから、そんなことを心配しても無駄だと、私は本気で思っています。
 
 
 ただしそれは、注意をしなくて良いという意味ではありません。考えられる注意はした上で、人生というのはリスクをとらないと楽しむこともできないのだと言いたいのです。何かをしようとすれば、少なからずリスクをとる必要があるのです。コンビニに買い物に行くのだって、交通事故に合うリスクをとっているのです。ただ、多くの人は、そんなことを考えていないだけです。
 
 ですから、無用にただ心配して怖がるのではなく、できるだけ正しい情報を取り入れた上で冷静に判断し、わからない部分はわからない部分として、その上でリスクを引き受けるのです。そして決めたなら、あとは他人がどう言おうと関係なく、果敢に行うことですよ。それが人生を楽しむコツですから。
 
 と言うことで、ゴーゴーバーを愛する私としては、こんな状況であっても、在住者は普通に生活していますから、どうぞ遊びに来てくださいね、と言いたかっただけです。たいそうなことを言っていますが、まとめたらそういうことです。(笑)
 
 
 さて、肝心のデモの話です。前にも書いたように、政治的にどっちが正しいかということには触れません。それぞれに正義があるのです。また、タクシン派も反タクシン派もそれぞれ、けして一枚岩ではありません。それぞれの人に思惑があるのですよ。だから特権階級対貧困層の争いという面もありますが、それが全てではありません。
 
 ただ、タイの民主主義はあまりに幼いことだけは確かです。クーデターによって憲法が改正され、大衆に人気のタクシン派を抑えるために、上院の多くを任命制にして、特権階級が永続的に権力を握られるようにしました。それを今回、選挙制に変えよう(戻そう)と政府がしたわけですが、これを憲法裁が違憲と断定しました。
 
 憲法を変えることは立法府の役割ですが、それを司法が違憲というのは、どう考えても矛盾です。憲法改正の手続きが違憲だったというならまだわかりますが、恣意的に権力を握ろうとしているからという理由ですからね。司法が政治的になるのは、タイだけでなく、韓国もまたそうですが、民主主義が幼いことの象徴だと思っています。自分たちの利益のために権力を利用することが正義だという信念が、そこに現れているからです。
 
 そういう民主主義に対して幼い考え方しか持っていないから、政権時代には副首相まで務めた人が、今の政府を困らせるために政府機関の違法な占拠を指導しています。愛国無罪と言って、目的のためには手段を選ばないのと同じです。クーデターもテロも、みな精神構造が同じなのです。
 
 
 日本人は、新渡戸稲造氏の「武士道」にもあるように、高い精神性を持った国民だと思います。どんな状況であっても、やって良いことと悪いことがある。そういう考えを持っているから、東日本大震災の混乱の中でも、人々は整然と列を作り、互いに助け合ったのだと思います。いくら勝てても、背後から襲うのは卑怯だ。そういう正々堂々とした生き方が、根本にあります。
 
 しかし、タイもそうですが、多くの国の人々には、そういう高い精神性はありません。残念ですが、それが事実です。タイは仏教国で、国民の気質は優しいです。でも、私が見る限りにおいて、仏教は自己の利益のために信じているだけであって、それ以上のものではありません。だからお釈迦様の教えなど関係なく、僧侶が結婚の日取りを占ったりしていて、人々はそれを喜んでいるのです。
 
 
 でも、そういう幼さを、私は愛らしいとも思うのです。子どもが幼いからと言って、非難する人はいないでしょう。それと同じです。愛するのに理由は要りません。愛は無条件ですから。たまたまタイと関わることになったから。それだけで十分な理由になります。
 
 今はまだ幼くて、民主主義が何であるかも理解できない人びとが、我こそ正義だと主張して暴力の応酬をしています。子どものケンカと同じですよね。子どもは、ケンカをすることで成長します。だから、タイにとってはこういう時期が必要なのでしょう。そう思って、温かく見守りたいと思うのです。