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 反政府派は、13日からバンコクを封鎖すると予告しています。バンコクの主要な交差点を封鎖し、集会を行うようです。ソイカウボーイに近い、スクンビット通りとアソーク通りの交差点も、その中の1つです。クーデターを成し遂げ、タクシン氏やインラク首相などのチナワット家を国外追放するまで、あきらめない覚悟のようです。
 
 緊急車両やバスの通行は許可するようですが、集会場所に近いアパートの住人はどうなるのでしょうね。近隣の商業施設は、一応、平常通りにオープンさせるとしています。日本人学校は、13日を休校としました。まあ、日本も成人の日でお休みですから、それも良いでしょう。
 
 反政府派は、今回はBTS(高架鉄道)やMRT(地下鉄)の駅の占拠や、空港占拠は行わないとしています。一時はテレビ局の占拠や、自分たちの行動に反対する外国の大使館を占拠することも主張していましたが、さすがに諸外国からの反発は避けたいようです。けれど、政府施設の送電や水道をストップさせ、行政機能をマヒさせるとしています。方法はどうであれ、テロと同じだし、言葉でそう言わないとしても、これはクーデターです。
 
 
 軍は、一応は選挙を支持すると発表しています。しかし、不測の事態が起こればどうなるかわからないとして、クーデターに含みをもたせているようです。タイの軍は独立機関のような存在ですから、国防相のお願いも聞き入れません。11日がタイの子どもの日ということもあり、そのイベント用ということで、大量の戦車をバンコクに集結させているという情報もあります。それを、クーデターの準備だと見る人もいるようです。
 
 UDD(赤シャツ)は、当初、反政府派がバンコクを封鎖する暴挙に出るなら、ただちに地方からバンコクに大量動員をかけ、反政府派の横暴を実力で阻止すると発表していました。しかしすぐに、これを撤回しました。国民同士による血の抗争を避けるため、ということのようです。賢明な判断です。これでひとまず、政府が強制排除に動かない限りは、大規模な暴力の応酬はなさそうです。
 
 
 膠着状態になりつつあるタイの情勢ですが、国王が両者を呼んで和解させると期待する人がいるようです。以前に、そういうことがあったからということなのですが、これはどうも、必ずしもそうではなかったようです。国王は賢明な方ですから、立憲君主という立場を超えて、政治に参加されることはしないと、私も思います。
 
 ですから、前回のクーデターや、空港閉鎖でタクシン派政権を追い込んで退陣させたときも、国王は何も言われませんでした。PAD(黄シャツ)や、そのデモに参加した人たちの中には、「国王からお褒めの言葉をいただけるかと思ったのに…」と、うらめしく思った人もいたようです。
 
 ただ、王族の中にはやはりPADを支持したい人もいたようで、デモに参加して死んだ人を弔う費用を出した方もおられましたね。それを知ったPADは、やはり国王は自分たちの味方だと思ったようですが、勘違いだったようです。国王は、どちらかの葬儀費用は出すけど、どちらかは出さないというような、軽率なことはされないでしょうから。
 
 
 国王は、誕生日を祝う国民に向けたスピーチでも、国民の一致団結を訴えておられました。国民の父と言われる国王ですから、あまりに当たり前なことだと思います。子どもたちが争っているときに、「私は長男の味方だ。長男を支持するから頑張れ。」などと言うでしょうか?言うはずもありません。
 
 それなのに、国王がどちらかに加担されると思っているとしたら、おそらくその人は親としても、自分の子どもを差別するのでしょう。どちらかを愛し、どちらかを愛さない。そんな限定的な愛が、本当の愛だという信念を持っているに違いありません。それで自分は愛情深い親だと錯覚しているのかもしれません。
 
 
 しかし、もし親として子どもを本当に愛するなら、たとえどちらかができの悪い反抗的な子どもだったとしても、愛の深さにおいては等しいのではないでしょうか?国王は立派な方です。国民から父として慕われる、愛情深い方です。その国王が、どちらかしか愛さないというような、偏狭な父親なはずがないではありませんか。そんなちっぽけな存在ではないと、私は思っています。
 
 それとも、偉大な国王を、偏愛するような小さな存在にしてしまいたいのでしょうか?そんな小さな存在だと信じることが、国王のことを愛することになるのでしょうか?逆にもし、国王がそんなちっぽけな存在ではないと言うなら、どうして国王の願いを無視するのでしょう?国王の願いを無視しておいて、それで国王を愛していると言えるのでしょうか?
 
 本当に国王のことが好きで、国王のことを愛するなら、国王が愛する国民すべてを、同じように愛することです。それが国王の願いなのですから。そうは思いませんか?
 
 
 愛は、無条件です。無条件とは、制限がないことです。無制限ですから、限界がありません。誰かに与えたからといって、他の人への愛が減ることもありません。それなのに人は、愛を独り占めしようとします。そして、相手に嫉妬します。愛を奪われたと思うからです。奪われることで、自分への愛が減ると思うからです。
 
 これは心理学でカイン・コンプレックスと呼ばれるものです。本当は愛が減るわけではないのに、勝手に減ったと考えて、自分の他に愛されている人を恨むのです。そして自らの思いで、その愛を醜いものに変えてしまいます。愛は腐敗し、腐臭を放つようになります。
 
 
 本当の愛であろうとするなら、本当に愛したいと思うのなら、自分自身がもっと偉大な存在になることです。無限の愛を独り占めしようとするような、ちっぽけな自分から自分自身を解放することです。もっと高い視点から、親の視点から、自分を眺めてみることです。そうすれば、愛であるとはどういうことかがわかるでしょう。
 
 愛がどういうものかがわかったら、自分が愛になることです。愛として生きることです。そうすれば、力が与えられるでしょう。そうすれば、何がなくても幸せと喜びが与えられるでしょう。愛とは、そういうものだからです。
 
 
 国王は、間違いなく国民を愛しておられます。だから何も言われずに、耐えておられるのです。タイの人たちが、国王の愛に気づくことを願っています。みなさんは、素晴らしい国王に愛されているのですから。国王の愛に応え、国王の御心を癒やす人こそ、本当に国王のことを愛する人なのです。そういう人になりたいと思いませんか?私は、そうなってほしいと思います。