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 2月2日に予定通りに選挙が行われました。結果は予想通り、一部で投票が妨害されるなどしたため、再投票の準備に入っています。中には選挙管理委員が思想的な理由(=反政府派を支持していた)から業務をボイコットし、投票できなかったところもあったとか。こういうのって、職権の乱用になるんじゃないでしょうかね。
 
 とりあえず選挙ができたことで政府は、投票できなかった地域で再選挙を行う準備を進めています。また、投票を妨害した容疑で反政府派のリーダーたちの逮捕状を取り、反政府派デモの崩壊を目指しているように思えます。
 
 
 一方の反政府派は、下院の解散の後で不要な非常事態宣言を発令し、選挙を優位に進めようとしたとして憲法裁に訴えましたが、憲法裁はこれを却下しました。理由は、まだこれから再選挙も行われるし、開票もされてないのだから、優位に進めようとしたという根拠がないというもの。
 
 うーん、却下したことは筋が通っている気がしますが、その理由は筋が通っていないのでは?優位になったからという結果がなければ、何をしても良いのでしょうか?逆に、そういう意図はなかったのに、結果的に優位になった(と判断された)ら、してはいけないのでしょうか?私は法律の専門家じゃありませんけど、どうにも合点がいきませんね。
 
 
 それはさておき、政府の米買取制度にまつわる汚職などの捜査も進められており、いよいよ双方の司法合戦になってきています。軍のトップ自ら投票して選挙を支持したため、軍によるクーデターの目は小さくなりました。
 
 しかし問題は、司法がまた与党を解党したり首相を解任させたりしたとしても、タイは無政府状態になってしまうということです。さすがにその責任を憲法裁も負いたくないと思われるので、容易には司法によるクーデターも発動しにくい状態にあると思われます。
 
 また都合が悪いことに、3月30日には上院の選挙もあるそうです。上院は半数が任命制で、憲法裁の裁判長などが任命委員になっていて、間違いなく反タクシン派のメンバーを選ぶでしょう。残りの半数は各県に1人を選挙で選ぶため、少数でも反タクシン派が当選すれば、上院の過半数を握れるという仕組みです。その上院が、憲法裁の裁判長などを任命します。いわば、持ちつ持たれつの権力維持構造です。反政府派は、上院の選挙は妨害しないと言明しています。当然でしょうけど。
 
 
 資金が潤沢な反政府派も、さすがにバンコク封鎖という7ヶ所での集会を維持するのは難しくなったようで、現在は4ヶ所に絞っています。政府庁舎前からも撤退するとしていましたが、リーダーの僧侶が抵抗していましたね。その後、どうなったかわかりませんが、僧侶が政治的なことに関与していることに対しては、各方面から批判が集まっているようです。
 
 こんな状態ですが、ソイカウボーイ近くのアソーク交差点は、相変わらず集会が続いています。パッポンやタニヤに近いルンピニー公園前の交差点も、同様に続いています。ナナプラザは近くで集会を行っていないため、特に問題はありません。
 
 集会では、ステージ上でアジ演説があったり、歌謡ショーがあったりと、毎日賑やかです。食事の時間には、無料で食事も振る舞われています。また、無料の散髪やマッサージもあるのだとか。それを目当てに無関係の市民ばかりか、一部の外国人も集まってきていて、非常識だと批判されているようです。
 
 
 また、この状況を「お祭りのようなもので、まったく危険じゃないよ。」と言う人もいれば、「発砲事件だって起きているんだから、どうして危険じゃないって言えるんだ!?」と発言を批判する人もいます。私に言わせれば、どっちも正しいし、どっちも間違いですね。
 
 まず、何をもって「危険」と言うのでしょう?この集会やデモは、外国人を排斥したり攻撃したりする目的ではありません。ですから、直接的に「危険」とは言えません。しかし、強い政治的主張のもとに違法に行われているものですから、それに敵対する思想の人も多いでしょう。そこで何かトラブルが起これば、巻き込まれるという「危険」はあります。
 
 さらに言えば、その巻き込まれる「危険」というものも、どの程度のものなのでしょう?これまでの実績だけ考えれば、デモや集会、およびその見物に集まった人たちの延べ人数あたりの被害件数はわずかでしょう。おそらく交通事故で被害に合う確率より低いと思います。スリや強盗に合う確率と比較しても、低いかもしれませんよね。
 
 そう考えるなら、デモに近づくことで危険が増えたとは言い切れないでしょう。もちろん、これから何が起こるかは予想不能ですから、そんなものはこれまでの実績による確率で語れるものではありません。しかしその論理で言うなら、すべてのことは予想不能です。
 
 
 また、別の切り口から考えてみましょうか。そもそもリスクを冒さずに何かできることがあるのでしょうか?たとえば政情不安になる前であっても、タイに旅行すること自体が危険に直面していると言えますよ。犯罪の発生率も日本の何倍かあるようですし、殺人および殺人未遂事件は、日本の10倍になると数年前の統計にもありました。交通事故だって、日本より発生頻度が高いです。ですから、タイに来ること自体が危険なのです。
 
 もちろん、タイ以外の国に旅行する場合は、また違ってくるでしょう。タイ国内であっても、どの地域へ行くのかとか、誰と一緒に行くのかとか、どういう行動パターンなのかによっても、危険度は変わってきます。ただ言えることは、少なくとも日本国内で似たような行動をするよりも、確実に危険度は高まるということです。
 
 また、日本国内にいても、同様のことが言えます。交通事故に合う危険が高まるのに、どうして出かけるのでしょう?感染症にかかる危険性が高まるのに、どうして人が集まる場所へ行くのでしょう?しかし、そういうことを心配して部屋にこもりっきりだと、今度はうつ病になったり、不健康になって病気になるリスクも高まるでしょうね。
 
 
 さてさて、困ったものです。何をやっても何らかの危険性はあるし、絶対の安全などあり得ません。家にいても火事や地震で死ぬかもしれないし、飛行機が突っ込んでくるかもしれませんから。「そんなの確率的に低いでしょ。」そう反論したいかもしれませんが、では、確率がどのくらいになったら危険で、どのくらい以下なら安全なのですか?その基準がありますか?
 
 結局のところ、絶対的な安全の基準などというものはないし、どうなったら危険とも言えないのです。ではどうやって行動を決めるのかというと、自分がやりたいことと、それを不安に思う気持ちの強さの比較です。科学的(つまり統計的)な被害を被る確率の問題ではなく、心理的な欲求と不安のバランスなのです。
 
 ですから、危険だと思う人は、何を言われても「危険」だと判断するのです。逆に安全だ(=それをやりたい)と思う人は、何を言われても「安全」だと判断するのです。人それぞれで、どっちが正しいとか間違っているというような話ではないのです。
 
 
 そもそも生きるというだけでリスキーなのですから、完璧な安全などというものはありません。その上で、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言うように、より良く生きようとすれば、それだけリスクを引き受けなければなりません。「より良く生きる」とは、自分にとって価値あるものを追求する、ということです。
 
 マラソンランナーは、健康には悪いと知りながら、どうしてあんな無茶な運動をするのでしょう?登山家は、危険と知っていながら、どうして無理して山に登るのでしょう?パイロットは、通常の人の何十倍、何百倍もの放射線を浴びるとわかりながら、どうしてそんな仕事をするのでしょう?警察官は、危険に直面する職務とわかっていながら、なぜあえてその仕事を選んだのでしょう?
 
 
 人は、それぞれの人が「価値がある」と思う生き方をするために、あえて危険に挑むのです。それが他の人にとってどれほど馬鹿らしいことであっても、関係ありません。なぜなら、価値観は人それぞれだからです。そうやって他人の意見を無視して、自分の声に耳を傾けた人だけが、満足した人生を送れるのです。
 
 他人の顔色ばかりを気にして自分の心の声を聞かなければ、イソップ物語の「ろばを売りに行く親子」のようになってしまうでしょう。絶対的な正解などないのです。あるのは、自分の考えかどうか、それだけです。逆に言えば他人がどう考えようとも、問われない限りは他人に任せておけば良いのです。危険か安全かは相対的な問題で、答は人それぞれなのですから。
 
 
●2014年2月12日追記
 
<バンコク概略図:ゴーゴーバー関連と反政府デモの占拠地域>
バンコクの占拠地域マップ
 
●2014年3月4日追記
 
上記地図の道路封鎖は、3月3日で終了しました。現在は、地図にあるルンピニー公園内に陣取って、集会を継続しています。
周辺の道路は通行可能ですが、爆発事件なども散発的に発生していますので、十分に注意をしてください。