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 明日は上院選の投票が行われるため、今日の18時から明日の開票が終わるまで、禁酒販売となります。まったくおかしな規則を作るものです。おかしなというのは、無意味だということです。酒を飲んで熱くなって問題を起こすような連中のために、無関係の大勢の人に不自由を強いる。はっきり言って、バカとしか言いようがありませんね。
 
 先週の期日前投票では、土曜日にソイカウボーイが休業しました。ナナプラザは営業したようです。おそらくパッポンやタニヤも営業したのではないかと思います。管轄の警察署が違うため、その対処が異なっているからです。今週も、ソイカウボーイは土曜日に休業すると言っていましたが、どうなることか。ナナプラザは営業するようです。
 
 結局、規則というものは、権限を創り出し、それによって利益を得る構造になっています。日本にもそれはありますが、タイではおおっぴらにあるのです。ですから、タクシン派だとか反タクシン派だとか関係なく、国民全体の意識の問題なのですよ。票の買収なんて氷山の一角。それだけなくすなんて無理なこと。不正でないことを探すのが大変なほど、不正が当たり前にあるのです。
 
 
 さて、この問題を語りだすとまた長くなるので、今日はさっさと話題を変えましょう。私は常々、「夜遊びは人生の縮図だ」と言っています。長い期間かけて味わう人生のもろもろを、夜遊びは濃厚に体験させてくれるからです。そのことを今日は、ちょっと詳しく話してみたいと思います。
 
 
 まず「人生の縮図」と言っていますが、元になっている人生とは何かということを、みなさんはどう考えているでしょうか?人生と考えると、生まれて、成長して、独り立ちして、結婚して、子育てをして・・・というようなものが思い浮かぶでしょう。これらすべてを貫いている人生の本質とは、いったい何でしょうか?
 
 私はこれを、「自分とは何かということを深く掘り下げていくこと」だと考えています。つまり人生において何かを考え、何かを行うことは、すべて「自分とは何者か?」という問いに対する答なのです。その答を表現しているのです。
 
 
 たとえば、受験に失敗するという出来事があったとしましょう。それに対して何を考え、どう行動するでしょうか?ある人は、「自分はなんてダメなヤツなんだ」と考えて自己卑下し、将来を悲観して「自殺する」かもしれません。もちろんこれは、極端な例ですよ。でもその人は、その考えや行動によって、自分とは「自己卑下して価値をおとしめて自殺することで不安から逃げようとする人間だ」と表現したのです。
 
 別の人は、「なあに1回くらい失敗しても大したことないし、お陰で自由な時間ができた」と考えて、「半年くらい海外へ放浪の旅に行く」かもしれません。自分は「受験に失敗しても大したことじゃないし、そんなことで自分の価値が損なわれたりしないと考え、その状況でより楽しいことをやろうとする人間だ」と表現したのです。
 
 出来事は同じです。その受け止め方、つまり考え方が違うだけです。人生には順境も逆境もありますが、それは自分が決めているのです。いつも言うことですが、出来事はニュートラルで何の意味もありません。それにどういう意味を与えるかによって、自分が何を体験するかが変わります。つまり自分の人生を、自分が創っているのです。
 
 
 このように、私は人生というものを考えています。そこで次に「縮図」の部分です。どうして夜遊びが人生の縮図と言えるのかを、お話しましょう。先ほど言ったように、人生とは様々な出来事に対して、自分がどう考え行動するかによって、自分自身を表現するものでした。そうすることで、「自分とは何者か?」という問への答を深めて行くのです。だとしたら、インパクトのある出来事が多い方が、より多くの体験ができますよね?
 
 つまり夜遊びでは、インパクトのある出来事が多いと言えるのです。なぜか?それは、自分の本音が出るからです。通常の人生では、多くの人は自分を隠しています。だから、濃厚な体験ができないのです。仮面を付けた自分が、当り障りのない体験を繰り返しているだけなのです。
 
 
 ところが夜遊びでは、仮面を脱ぎ捨てたくなります。だってその方が自然だし、本来はそうしたいのですから。特に海外での夜遊びはそうです。今までの生活基盤がある自分の人生とは別世界です。旅の恥はかき捨てと言いますが、日本での仕事や学校の人間関係とか、家族の関係とか、まったく忘れて自分をさらけ出すことができます。
 
 そして、夜遊びは基本的にお金の関係です。お金を払うことで自分の欲望を満たしてもらう。その対価が、日本での生活基盤で使うものと比較して安いと感じられたらどうでしょう?いろいろな使い方ができます。つまり選択範囲が広がるのです。タイでの夜遊びは、その条件にかなうと思いませんか?
 
 そして最後に、お金の関係でありながら、お金だけではない面があるということです。このことが、夜遊びの体験範囲を大幅に広げてくれます。同じお金を払ったとしても、同じサービスが受けられるわけではないのです。コンビニで買い物するのとは、まったく違います。日本なら、常連さんにおまけするくらいはあるでしょう。タイでもそれはあるでしょうけど、常連かどうかではなく、その人が好ましいかどうかが重要なポイントなのです。
 
 
 いろいろ言ってきましたが、要は選択範囲が広いということであり、自由度が大きいということになります。だから同じ夜遊びだとしても、より自由度が大きいゴーゴーバーの方が、すぐに選んで横に座らせるカラオケよりも、楽しいと言っているのです。
 
 先ほど、受験失敗の例をあげましたが、夜遊びでもそれはあります。たとえば、すっごく気に入った子がいて、恋愛感情に近いものを感じたとき、どうでしょうか?どうすれば好きになってもらえるかあれこれ考えるでしょう。アタックして、失敗するかもしれませんよね。あるいは、OKをもらったものの、信じ切れないなんてこともあるでしょう。ドキドキハラハラする。それだけ、濃厚な体験をしているのです。
 
 
 そこで、「自分は何者か?」という問いに答え続けることになります。実は人生では、無意識にそれをやっているのです。駅員の態度が気に入らないと言って怒って、暴力をふるう一流企業の偉い人がいましたね。そういう人は、その考え方によって、行動によって、「自分とは何者か?」という問へ答えたのです。「つまんないことをする人だなあ」「人間が小さいよね」など、いろいろ感想を持たれたでしょう。それが、その人が表現した自分なのです。
 
 夜遊びでも同じです。お店に対して、女の子に対して、自分の思い通りにならない出来事があったとき、どう考えるでしょうか?もちろん、思い通りの時にどう考えるかも、同じように「自分とは何者か?」という問に答えています。
 
 女の子にご馳走するのか、しないのか。ニコッと笑うのか、笑わないのか。店をすぐに出るのか、出ないのか。ありとあらゆる判断が、決定が、その人自身を表現しているのです。その選択を自由にできること、生活基盤のことをしばし忘れて、自分の本音にしたがって判断できることで、濃厚な体験ができるのです。
 
 
 もちろんこれは、私がお勧めする一人旅、特に海外への一人旅でも、同様の体験ができます。しかし濃厚な体験は、必ず人間関係から生まれることを忘れないでください。いくら一人旅をしても、誰とも触れ合わないとすれば、その濃度は低くなるでしょう。だから、人との関係が必須となる夜遊びは、濃厚だと言うのです。
 
 さあ、もうする4月です。今は春休みという学生さんも多いでしょう。タイでの夜遊びは、必ずあなたを一回りも二回りも大きくしてくれますよ。こんなこと、仮に思っていても普通の大人は言えないでしょうね。だって、自分自身の評価が下がると心配するでしょうから。だから代わりに、私が言ってあげます。夜遊びは人生の縮図です。大いに楽しんでください。