Pocket

 いまだ全土に戒厳令が敷かれているタイですが、どこが戒厳なのかと思うほど平穏です。ただ軍政は、国民和解という建前を掲げながらも、着実にタクシン派の解体を行っているようですね。メディアにはタクシン氏のことを報道するなと命令するなど、強圧的な面も見せています。欧米は、言論の自由を奪うものとして反発していますが、タイが中国に接近することを懸念する日本は、それほど強い態度には出ていないようです。
 
 
 まあそんな状況ですが、相変わらず夜遊びはやめられません。何の脈絡もない展開ですけど、久しぶりに「ひとりごと」を書いてみたくなりました。それはある意味で、行き詰まりのようなものを感じたからでもあります。
 
 最近の私は、やはりダンスを見たいという目的があって、コヨーティーのいる店によく出没しています。ビールを飲み、ダンスミュージックを聴きながら、激しく踊るコヨーティーを見ている。まさに至福のひとときです。
 
 もちろん、それだけでも十分に幸せなのですが、一方で性的な欲求も高まってきます。目の前で腰をくねくねさせられたら、そりゃあ「うぉー、あのケツ触りてー!」となりますよ。露骨ですみません。でも、それが私の本音です。寄せて上げたみたいな胸を強調されたら、「そのおっぱいの感触を味わいてー!」となるのです。
 
 
 そこは酔った勢いで、「セクシーだねえ」などと言いながら、お尻を撫で回したり、おっぱいを触ったりするわけです。「ん、こいつ嫌がってないな。」と感じれば、ちょっとだけ指を服の内側に忍ばせてみて、それでも拒否しなければもっと大胆に・・・。無理やりということはしたくないので、あくまでも相手の承認のもとに健全に行っています。
 
 そんなとき、露骨に「その代わりチップちょうだいね」なんて言われると、急にその高まった欲求がしぼんでしまいます。もちろん、彼女たちはお金が目当てだということはわかっていても、夢を見たいのかもしれませんね。
 
 生でおっぱいを触っておいて、チップが100バーツなんてことはしませんよ。キャバクラの指名料だって、1000円(約300バーツ)はしますから。ただ、お金のために触られるのを我慢していると感じると、何だか萎えるのです。お互いに気持よく時間を過ごしたいから。触り続けられるのは、相手も感じてくれるからです。無反応な相手を触り続けることはできません。
 
 
 よく、男と女では性欲に違いがあると言われます。つまり、男は愛がなくてもセックスできるが、女は愛がなければできないと。だから商売の客から触られても感じないのが当然、という考えもあるでしょう。でも私は、それは違うと思うんですよね。セックスするかどうかの判断に愛は関係するかもしれませんが、感じるかどうかは別だと思うのです。
 
 身体は、刺激に反応するものです。ですから男は、愛してもいない女のエロティックな姿を見ても勃起します。それが自然だと思うのです。女はなぜ、愛がなければ触られても感じない、などと言うのでしょうか?おそらく、本当は愛ではなく、安心感がないからだと思うのです。
 
 自分を守ろうという意識が、男より女の方が強いと思うんですね。そもそも性器の形からして、男の方が攻撃的ですから。だから性に関しては、女は受動的になる。受け身であれば、安心できる相手でないと困りますよね。安心して感じられる状況にないから、感じないと思うのです。これは、宋美玄さんの「女医が教える本当に気持ちのいいセックススゴ技編」を読んだ時も感じたことです。
 
 
 それに世の中には、解放的な女がいることも事実です。ノリでセックスしちゃう人もいるし、愛がない相手であっても、刺激されて感じるという女もいるのです。ですから、もし安心感があるなら、女であってももっと解放的になって、性的な刺激をし合って楽しめると思います。
 
 まあこれは、何百人もの女の子たちと接する中で、私が感じていることです。私から触られるのは嫌だと言う子もいたし、お金のために我慢して触らせる子もいました。そして、触り合うことを一緒に楽しむ子も。身体は正直ですからね。感じたフリをすることはできますが、本当に感じているかどうかは身体の変化でわかりますよ。
 
 私は、相手を変えたいとは思わないので、私に触られるのが嫌ならそれでいいと思うのです。触らないだけですから。お金のためなら我慢するという子も、それはそれで良いと思います。おそらく私がすぐに飽きるので、次がないだけの話です。お互いに楽しめる子となら、関係が長く続くことになります。
 
 ただ、そんな長く続く関係でも、永遠ではありません。人は変わるし、逆に変わらないとまた飽きてくるのです。まるですべてを許し合ったような関係だった子とも、関係を絶ったことが何回かあります。相手の子の心の変化を感じ、もう以前のようには遊べないなと思ったからです。変化がない子の場合は、私が飽きるので、会いに行く頻度が減っていきます。たまには焼肉もいいけれど、毎日だと飽きちゃいますからね。それと同じだと思います。
 
 そうやって別れた子のことは、次第に忘れていきます。あまり心に残らないんですよね。一方で、ずっと心に残っている子がいます。それは、盛り上がっていた頃にいなくなってしまった子。どういう理由かに関係なく、突然姿を消してしまった子のことは、いつまでも追っかけてしまうんですね。きっと私は、夢を追いかけているのでしょう。
 
 
 コヨーティーは増えたのに、客が少なくてコヨーティーの稼ぎが少ない。そういう状況では、コヨーティーたちの安売りが広がっている現実があります。コヨーティーとゴーゴーガールの垣根は、確実に低くなっています。でもそのことによって、簡単に触れてしまうことに飽きてきた部分があります。
 
 所詮は遊びですから。簡単に勝てるゲームを続けていても面白くないのです。それでも惰性で続けてしまうゲームもありますが、どこかで新たな刺激をほしがっているのです。ただ、性欲を満たすために素人女性に挑戦するような、バカなことはしませんよ。お互いがゲームだとわかっているから、ゲームは成立するのです。
 
 
 私が女の子を触る理由の1つは、ある意味で人助けです。だって彼女たちは、いっぱいチップをもらいたいのですから。しかし、対価に見合ったサービスをしないのにあげたら、それは相手を物乞いにすることになります。私はそれは、相手に対する侮辱だと思うのです。だからたくさん払う代わりに、それに見合ったサービスをしてもらうのです。
 
 まあ、相手がどう思っているかは知りませんが、私はそういうつもりで真面目にお触りしているのです。でも、そのゲームも少し飽きてきました。なので、夜遊びそのものをやめるつもりはないのですが、遊び方を変える時期かもしれないなと感じています。さて、次は何をして遊びますかね。1点集中の純愛ごっこでもやりますか。すぐに飽きそうですが。