Pocket

 ここのところ毎日のように雨が降っているバンコクです。ソンクラーンから5月末まで、めっちゃ暑い日が続きましたが、この雨のお陰で気温が少し下がりました。移動中にスコールに見舞われると、何ともうっとうしく感じるものですが、この雨があるから快適な気温になるのですね。雨はただ降るだけ。それをうっとうしいと思うか、快適だと思うかは人それぞれ。そんなことを考えています。
 
 
 夜遊びは人生の縮図だと常々言っています。今日は、読者の方から相談とも愚痴とも言えないメールをいただいたので、そこで感じたことを書きたいと思います。パタヤのバービアの子だったと思いますが、出会ってLINEでやりとりする関係になったそうです。そしてついに、「私はお金がピンチなの、助けてくれる?」というメッセージが届いたそうです。
 
 まあよくある話ですよね。所詮はお金が縁でつながった関係です。こうなることは、十分に予想できました。「その直後に、YESなの?NOなの?と怒った文章付です」と、その子はどうしても白黒つけたかったようです。その読者の方は、お金を払いたい気持ちにはなれなかったので、放っておいたのだそうです。
 
 すると、その子からのメッセージは、徐々にエスカレートしていきます。「お金がピンチ、愛しているなら助けてくれ…」「あなたはうそつきだ、好きじゃないくせに…」それも無視していたら、ぱったりとメッセージが来なくなったそうです。そうなってみると、なんだか寂しい気がすると、読者の方は言います。
 
 
 まあしかし、そうなるのは必然でしょうね。のれんに腕押しじゃありませんが、いくら言っても反応がなければ、もうさじを投げたくなるでしょう。読者の方は、自業自得ということはわかっておられるようですが、何とも切ない気持ちになられたそうです。
 
 ところが数日後、久しぶりのその子からメッセージが届いたそうです。その中に、「私は来月誕生日なの?」とあったのだとか。読者の方は、とりあえず「誕生日おめでとう」と返信したそうです。これからどうなるかわかりませんが、嬉しいような、ちょっと怖いような、複雑な気持ちでおられるようです。
 
 
 この読者の方のやりとりを読ませていただいて、私は「あー、まさにこれが人生だよなー。」って思いました。そして、読者の方が迷いながらも、それでも自分を見失わないようにされてるところに、微笑ましさを感じました。「うん、しっかりと生きてるじゃないか。」って感じです。上から目線ではなく、同じ仲間という感じですね。
 
 おそらく、人によっては「ああすればいいのに」「こうした方がいいよ」と、いろいろ言いたいこともあるでしょう。もちろん、私にもありますし、私ならこうするという話は、読者の方にメールで伝えました。ただ、どれが正解というものではないのだと思います。ある意味で、どれでも正解なのです。
 
 たとえば、最悪な例ですが、お金を渡して、だったら見返りにもっと愛してくれるのかと期待したら、音信不通になってしまったとか。私は、それもまた1つの生き方だと思うのです。バカだなと思う人はいるでしょう。でも、バカでいいではありませんか。そんなバカな経験も、やった人にしかわからない貴重な経験なのです。
 
 
 私自身、そういう経験があります。お金をつぎ込んで、つぎ込んで、最後は捨てられました。あっさりと。途中で何度も疑いましたよ。本当に愛しているのかと。もう信じられないと思い、関係を終わらせようとしたこともありました。けれども、最後は彼女を信じたかったのです。そうして、彼女にしがみついたのです。そんなバカな経験をたくさんしたお陰で、今の私があります。ですから、どんなバカな振る舞いも、何となく微笑ましく感じられるのです。
 
 そうやって私を捨てていった彼女たちを、私は今、とてもありがたいと心から思っています。彼女たちが捨ててくれたからこそ、今の私があるのです。彼女たちの魂はきっと、心を鬼にして、私にその経験を積ませてくれたのです。私の成長のために。そう思うから、ありがたくてたまらないのです。
 
 
 成長段階というのは、人それぞれです。必ずしも1本道ではないので、みなが同じ経験をするわけでもありません。ただ言えるのは、どんな道であったとしても、間違いなく成長の道をたどっているということです。それは年齢に関係ありません。死ぬまで成長し続けるのです。それが人生というものですから。
 
 そういう人生で、夜遊びがどうして特別だと思うのかと言うと、重要な男女関係を体験できるからです。成長とは経験によってもたらされますが、とりわけ深い人間関係による経験が重要になります。そして深い人間関係には2種類あって、1つが親子関係で、もう1つが男女関係(パートナーの関係)なのです。友人関係もありますが、これはこの2つに比べると、重要性で低くなります。
 
 私はこのように思っているので、男女関係を思う存分に体験できる夜遊びを、人生の縮図だと言っているのです。親子関係は、他で疑似体験することは滅多にありません。まれに、親と呼びたくなるほど愛情深く見守ってくれる、他人との関係ができる場合もあります。ただそれは、求めて得られるものでもありませんから。
 
 
 夜遊びは、たった一晩で男女関係が始まります。例にあげた読者の方もそうです。私も、何度も経験しています。いきなり恋に落ちて始まる場合もあります。そこまでいかなくても、他とはちょっと特別だと感じたことで、ずるずると深みにハマることもあります。この不思議な感覚は、親子とか友人では、味わえないものです。
 
 そこで私たちは、混乱してしまうのです。「この関係をどうしたらいいのだろう?」と。相手から積極的なアタックがある場合、逆に引かれてしまう場合など、様々なシチュエーションが生まれます。そのときごとに、私たちは自問するのです。「どうすればいいのだろう?」
 
 答えがあるような、ないような問ですが、私たちは何かを選択しなければなりません。今回の読者の方のように、放っておく(=何も選択しない)というのも1つの選択です。いずれにせよ、何かを選択することになるのです。そして、その選択によって、また様々な体験が生まれます。
 
 誰かがアドバイスしてくれるかもしれません。しかし、そのアドバイスにしたがったからと言って、上手く行く保証はありません。それに、「上手く行く」って、結局どういうことなのでしょう?自分ですら、それがよくわかっていないこともあります。ですから、アドバイスにしたがったとしても、自分で選択して、その結果を自分が引き受けることになるのです。
 
 
 夜遊びは、単に遊びです。難しいことを考えたいわけじゃなく、単に楽しみたいのです。満足したいからやっています。けれど、そう簡単には楽しませてもくれないし、満足させてもくれません。そこが面白いと気づいたとき、本当の意味で夜遊びにハマっていくのだと思います。狙った女を百発百中で落とすより、100人斬りするよりももっと楽しいとことが、そこにあるとわかるからです。