私の物語

私はこんな人間です

ジャンメダイのアバター

●こんにちは、幸せ伝道師のジャンメダイです。
私は今、とても幸せで、自由で、充実しています。
私を見た人はおそらく、そう私が感じていることに気づかないかもしれません。
だって、どう見ても普通のオジサンですから。
けれど、私の内面はそうなのです。
だから、このようなサイトを作ったりして、自由に、幸せに生きるための、お手伝いをしたいと思っているのです。

●では、私がどうしてこのような内面的な充実感を手にいれたのか、それをお話したいと思います。
そのために、私の半生をここで簡単に紹介させてください。
それをお読みいただければ、私がどのような人間で、どう生きてきたかがわかると思うのです。

●私のこれまでの人生を、5つの期間に分けてみました。
なんとなく、こんな感じで分類されるかなと思っています。
その節目節目で、大きな変化があったと感じています。

第1期:基本的な性格が作られた

●まずは、生まれてから高校を卒業するまでの私についてです。
性格は内向的で、真面目で、心優しい少年でした。
ともかく初対面の人が苦手で、挨拶もできないくらいでした。

●自宅は子供部屋が二階にあり、階段が玄関につながっていました。
なので、客が玄関にいたりすると、恥ずかしくて降りていけません。
それで、トイレも我慢していたくらいです。

●当然、女性とお付き合いなんてことはできません。
勇気がなくて、告白できなかったのです。
先生に対して異論を唱えることもできませんでした。
頬が引きつって、チックになるのです。
掃除の時間は、人と話をしたり、ふざけあうなんてことはありません。
真面目で、素直な模範的な生徒です。

●10歳くらいの頃、なんとなく神様はいるのだと思っていました。
普通に、仏壇と神棚が祭ってある家です。
親などから、「神様はいつも見ている」と言われてたからでしょうか。

●神様がいて、私を作ったなら、私のことを何でも知っているに違いない。
ひょっとしたら、私が何を考え、何をするのかも、神様が決めているのかも。
あるいは、神様を信じたら、このまま空を飛べるんじゃないか。
本当に信じて身を任せれば...。だめだ、恐怖心があって信じられない。
そんな突拍子も無いことを考えたこともあります。

●同じ頃、般若心経を唱えるようになりました。
意味は全くわからなかったのですが、お経を唱えれば祖父の病気が良くなるかもと思って。
残念ながら祖父はしばらくして亡くなりましたが、その葬式の時、お坊さんの読経に合わせて、般若心経を唱えることができました。

●中学生の頃は、死後の世界もよく考えました。
天国や地獄があるのだろうか。ひょっとしたら、何もない無の世界では。
もし無だとしたら、寝てから起きるまでの一瞬に感じられる時間が、永遠に続くのかなあ。
そう考えると、怖くて、悲しくて、布団の中で泣いたこともあります。
その頃、「生命の実相」という本を読みました。
死なないと信じれば死なないのかも。少し安心しました。

●高校生の頃、心配だったのは、「私は社会に出て生きて行けるのだろうか」ということです。
一人では何もできないと感じていました。
世の中はわからないことだらけで、不安だったのです。

●どんなに知識を蓄えても、次から次へと知らないことが出てくる。
そうなったら私は立ち往生して、パニックになってしまうかも。
自分が大人になれるなんて、とても想像できなかったのです。

第2期:貪欲に知識を吸収した

●そんな私も、なんとか大学に合格しました。
自宅から通える範囲ではありませんから、当然一人暮らしになります。
とても不安でしたが、前に進む他ありません。
私は勇気を振り絞って、道を切り開くことにしたのです。

「案ずるより産むが易し」と言いますが、本当にそうでしたね。
一人暮らしや大学生活に慣れるまでは大変でしたが、すぐに慣れました。
少しだけですけど、自分に自信を持つようになったと思います。

●その頃の私は、「自己嫌悪」なんて言葉がまったく頭にない人間でした。
ある意味で、幸せな性格だったのかもしれません。
しかし、同世代の人が自己嫌悪になるという話を聞くと、それが大人のようで羨ましかったのです。

●ちょっと自己嫌悪の真似をしたり、自殺する人の気持になってみようと、橋の上から川を覗き込んだりもしました。
しかし、私には似合いませんでした。
まだ、大人になりきれていなかったようです。

●持って生まれた性格は、そう簡単に変わるものではありません。
多少大胆さは出てきたものの、臆病で小心なままでした。
将来の職業を考えると、憂鬱でしたね。
学校の先生になろうかと思っていたのですが、教壇に立つ勇気がなかったのです。

人見知りするので、営業の仕事もできません。
事務の仕事か研究職くらいしか、私にできそうなものはありませんでした。
この内向的な性格を何とかしたいと、いろいろな本を読みあさりました。
宗教も、キリスト教や仏教を学んだり、哲学や中国の古典なども勉強しました。

●生まれて始めて彼女ができて、完全にのめり込んで、あっという間にフラれて傷付いたのもこの頃です。
いやあ、辛かったなあ。
息をするのも辛くて、気がつくと呼吸を止めてましたから。

●幸い、真面目な性格が助けてくれました。
アルバイトを休めなかったので、その間は彼女のことを頭から追い出すことができたのです。
半年くらいは、「あのときこうしていれば」などと後悔してましたよ。
ひょっとしたら、彼女の方から「よりを戻したい」と言ってくるかもなんて、淡い期待も持っていました。
そして思い出すたび、心がズキズキと痛みました。バカですねえ。
そんな私ですが、お陰で時間が心を癒してくれることを体験できました。

●社会人になってからも、本はよく読んでいました。
鏡を使って自分の心を癒す方法も覚えて、潰れそうなできごとがあっても頑張れるようにしました。
自分への応援歌を口ずさんだり、心を高揚させる曲をカセットテープに入れて、ときどき聞いていました。
ともかく自分で自分を励ましていなければ、私は人生の荒波に潰されてしまいそうだったのです。

第3期:「神との対話」と出会った

●社会人になって、2回転職を経験しました。
いずれも社長とぶつかって、この会社は私を必要としていないと思ったからです。
私のように臆病な人間は、ずっと同じところで勤めるものと思ってましたから、自分でも意外でしたね。
でもお陰て、少し精神的に強くなった気がします。
経験を積むということは、人間の幅を広げてくれるようです。

●3つ目の会社での生活にも慣れてきた頃、私はいつもの書店に入りました。
そのころ、不思議と読みたい本に出合えるということを感じていました。
アンテナを張っていると、必要な情報は自然と手に入るとよく言いますが、まさにそんな感じです。
そのときも、何気なく本棚を見ていたのですが、どうしてもそのタイトルが気になって、その本を手にしたのです。
それが、「神との対話」です。1998年、8月の暑い日でした。

●いつものようにパラパラとめくって斜め読みをしたのですが、すぐに「これは買うべきだ」と直感しました。
これはまさに私が求めているもの。そんな予感がしたのです。
すぐにその本を買い求め、持って帰って部屋で読み始めました。
それこそ、本に吸い込まれるかのように、私は集中して読んだのです。

●たしかに、良い本でした。感動もしました。
しかし、それが大きな転機になるとは、この時点ではわかりませんでした。
ひととおり読んだものの、この時点ではまだよく理解できなかったようです。
それはあとになって、「なんだ最初からそう書いてあったじゃないか」と気づくことが多かったからです。

「神との対話」はシリーズとなり、(2)、(3)、「神との友情」というように発行されていきました。
そのたびに私は、書店ですぐにそれを見つけ、買って読んだのです。
その頃には、「神との対話」シリーズだということだけで、内容を確かめることなく買っていました。
これはもう間違いがないという確信があったのです。

●ひとつの転機は、「神とひとつになること」でした。
この本の中で、「われわれはひとつだ」という究極の真実に、私は衝撃を受けました。
「なんだ、これですべての問題は解決するじゃないか。」
そう心の底から感じたのです。
しかしあとになってこのシリーズを読み返してみると、そのことはすでに最初から書かれていたのです。
いかに読んでいるようで読んでいなかったか。それがよくわかりました。

●しかし、それでもまだ私の心は現実から離れられません。
業が深いというのか、頑固というのか。
本を読んで感動しても、その数分後にはすぐに元に戻ってしまうのです。
現実に起こる出来事に翻弄され、イライラし、ストレスを溜めたのです。

第4期:タイで働くことになった

●そんな私に、予想だにしなかった転機が訪れました。
上司から突然、タイへ行ってくれないかと言われたのです。
「えっ、タイって東南アジアでしたよね?」
その程度しか関心のない国。それが私にとってのタイだったのです。
まさかこの年になって、海外赴任に選ばれるとは思ってもみませんでした。

●しかし、そう決まった以上はジタバタしないのが私の信条です。
潔くタイへ赴任することにしました。
それに後でわかったのですが、「いつかアジアで働きたい」と、自分のブログに書いていたのです。
無意識に私が、呼び寄せた現実だったのかもしれません。

●しかし、仕事は何とかなると思ってましたが、何ともなりません。
「文化の違い」という言葉を、身にしみて実感しました。
日本では当たり前のことが、タイでは当たり前にできないのです。

●仕事を一歩離れれば、それなりに楽しめます。
イライラすることも多いですが、物価が安いのです。
その分、楽しめることも多かったのです。

●単身ですから、毎晩のように飲み歩きましたよ。
不安や、心細さもあったと思います。
思い通りにならない苛立ちもあったでしょう。
それらのストレスを、飲んで遊ぶことで癒そうとしたのです。

●しかし、いくら飲んで遊んでも、ストレスの発散は瞬間的なものです。
次の日になれば、また元に戻ってしまいます。
今思えば、当然のことですね。
「ストレスがある」と信じていたわけですから、天は「そうかわかった。お前にはストレスがある。」と応じただけのことです。
思い通りにならない現実は、容赦なく私に迫ってきたのです。

●タイ人女性との、甘い(?)恋もありました。
しかし、それも長続きはしません。
文化も考え方も異なる人間同士です。
しかも、私はタイ語がほとんど話せません。
すぐに意志が通じなくて、衝突しました。
思いやっても、思いやっても、信じきることはできません。
相手にも辛い思いをさせましたが、私自身も深く傷つきました。

第5期:悟りを得て充実した

●しかし、「夜明け前が最も暗い」と言われるとおりです。
「冬来たりなば春遠からじ」とも言いますが、本当に昔の人は良いことを言いったものです。
私が落ち込んでいた時、それはまさに浮上して飛躍する直前だったのです。

●今思えば、そのきっかけを作ったのは、それまで培ってきた考え方でした。
「それをすることは自分らしいか」
それを行動基準とするように決めていました。
ですから落ち込んだ時も、それにしたがったのです。

●私は、恨むことを選択しませんでした。
むしろ、相手を許すことを考えました。
そうすることが、私らしいと思ったからです。
そして、そうしている自分を褒めてあげようと思いました。

●それから、出来事を肯定的に捉えるようにしました。
「しょうがない」と言って、起こったことをそのまま受け入れました。
「それもまた良い」と言って、その中の良い部分を探しました。

●そんなある日、私は泣きそうなくらいに感動を覚えました。
人生で起こることはすべて必然で無駄がない。
もしそうなら、何も不安になることがない。
私の心から、一切の不安が消えた瞬間です。

●たとえ何が起ころうとも、それを良いことだとわかっていれば、悪いことには成り得ないのです。
仮に私に危害を加えようとする人がいても、私が「危害」だと考えなければ良いだけのこと。
私は、完全に他者や環境から自由になったのです。
一切の不安がなく、何事にも左右されない自由な心が、今私にはある。
そう体全体で感じて、仕事中にも関わらず涙が溢れて止まりませんでした。

●現実は、相変わらず現実のままです。
何一つ、変わったものはありません。
変わったのは、私の心です。
でも、それによって、私にとっての現実は、天国のようになりました。
それまで、単にストレス発散だった夜遊びも、楽しくてたまらない活動に変わりました。
仕事や日常のトラブルも、それを楽しむ余裕が生まれました。

●「なんだ、こんな簡単なことだったのか。」というのが、今の実感です。
社会に出て、まともに生きていけるだろうかと不安に感じていた私です。
それが、まさかこんなに自信にあふれた人間になろうとは、お釈迦様でもご存じなかったかもしれませんね。

●私は今、このことをできるだけ多くの人に伝えたいと思っています。
でもその活動は、まさに今始まったばかりです。
まだ上手く伝えられないことも多く、試行錯誤しています。
でも、まったく不安はありません。
必ず上手く行く。なぜなら、私がそう信じるから。
そう思って、日々を暮らしているのです。

●でも、私が完全な人間になったわけではありません。
頭では理解していても、ついつい出来事に反応してしまうこともしばしば。
私もまた実践を繰り返しながら、日々成長しているのです。
少しずつ成長しながら、より自分らしい自分へと変化していく。
それが生きるということなのかもしれませんね。
自己変革を目指している方は、ぜひ私と一緒に頑張りましょう。


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