「おまえ、風俗の経験ある?」
「なんですか先輩。唐突に。ありませんよ全然。」
「ふーん。でも、女は知ってんだろ?」
 
 
ボクは中尾卓也。通称タク。25歳のサラリーマン。
週末ときどき、村木勝人先輩に誘われて飲みに行っている。
この日もいつものように誘われて、安い居酒屋で飲んでいたのだ。
 
 
「マサ先輩...実はボク、まだ経験ないんすよ。」
「えー!!ドーテーかよ、おめえ!」
「先輩、声おおきいっすよ。」
 
 
内気でおくてな性格もあって、女の子と付き合ったことはほとんどなし。
せいぜい手をつないだくらいで、キスもしたことなし。
世間じゃ、こういうのを「きもい」って言うんだろうな。
 
 
「こりゃまた、世にも珍しい天然記念物が身近にいたもんだ。おめえ、それで結婚するまで童貞を守るつもりかよ?」
「そんな気はないっすよ。でも...。」
「でも、何なんだよ?経験したいなら、いつでも経験できんじゃん?」
 
 
そりゃあそうだけど、それが簡単にできないから困ってるのだ。
東京のIT関連企業に勤めているから、風俗店は身近にいくらでもある。
でも、なかなかそこへ出かける勇気がない。
誰か知り合いに会ったらどうしようとか、そんなことが不安だからだ。
 
 
「先輩は、いつも風俗へ行ってるんですか?」
「まあ、いつもってほどじゃないけど、ときどきな。今は特定の彼女がいるわけでもないし、独身時代を謳歌しなきゃ。」
 
 
マサ先輩は、ボクより1つ上の26歳。
明るくて、社交的で、いつもエネルギッシュだ。
自分と全く正反対の先輩に、ボクはどこかであこがれているのかもしれない。
 
 
「先輩、今度どこかいいところへ連れて行ってくださいよ?どうしても一人じゃ行きにくくって。」
「おう、いいよ。どんなとこへ行きたい?」
 
「いや、別にどこでもいいっす。とりあえず経験できれば。」
「なんだ、望みが低いなあ。タクよー、おめえはそんなんだからダメなんだよ。もっとこうしたいとか、ああしたいとか、自分の気持ちをはっきりさせろよ。」
 
 
それはわかっているのだ。
わかっているけど、なかなか変えられない。
自分でも変わりたいとは思うけど、持って生まれた性格だから。
 
 
「でも先輩、ボクはどんなところがあるかも知らないんですよ。ファッションマッサージとかソープランドくらいは知ってますけど。」
「それで十分じゃねえか。ソープランドへ行きゃあ、簡単に経験できるさ。1万円くらいでできるところも、たくさんあるからさ。」
「でも、なんか味気ない気がするんですよね。ボクの最初の経験が、そんなもんでいいのかなあって...。」
 
 
本当は、そんなことじゃない。
ただ、一歩が踏み出せないのだ。
 
 
「タク、いいこと思いついたよ。おめえに最高の童貞喪失体験させてやるぜ。」
「なんすか、先輩?」
 
「おめえ、今10万円くらい用意できるだろ?それで海外旅行へ行こうぜ。海外旅行もできて、童貞喪失もできて、一石二鳥だろ。」
「でも先輩、ボクは海外旅行は行ったことないし、パスポートも持ってないし、それに夏休みは終わったばかりですよ。」
 
 
先輩の唐突な発言に、ボクはただただ面食らってた。
急激な変化を拒む生理的な防御反応のように、ともかく提案を受け入れないための言葉を並べたのだ。
 
 
「おめえ、どうしてそう消極的なんだよ。パスポートが無かったら取れよ。それとも一生、海外へは行かないつもりか?」
「そんなことはないっすけど...。それに休みがないっすよ。」
「バーカ、有給休暇が残ってるだろう。それを土日にくっつけるんだよ。」
 
 
先輩にかかれば、不可能なことは何もなくなってしまう。
あっと言う間に、海外行きは規定の事実となってしまった。
決行は半月後の週末。有給休暇をつけて、3泊4日のタイ・バンコク行きとなった。
 
 
 
「おう、タク。パスポートの申し込みに行ったか?」
「はい先輩。昨日、行きました。1週間後に受け取れるそうです。」
「な、簡単だろ。オレもツアーの予約をしておいたぜ。金曜日から月曜日までの3泊4日だかんな。」
 
 
マサ先輩が予約した旅行スケジュールは、以下のようなものだった。
金曜日午前 成田発 夕方から夜 バンコク着
土曜日・日曜日 自由行動
月曜日朝 バンコク発 午後 成田着
航空会社やホテルも、まだ未定とのこと。
旅行代金は、空港施設使用料や燃油サーチャージを含めると、約6万円強になる。
 
 
「先輩、これなんすか?一人部屋の追加チャージ1万2千円って。」
「あのな、男2人で同じ部屋に寝るのはイヤだろ?どうせなら女と一緒に寝たいだろ?だからじゃねえか。」
 
「はあ、でも女って、どうするんですか?」
「現地で調達するんだよ。まあ、今度詳しく話してやっから。」
 
 
そんなことで、2週間後のタイ・バンコク行きの旅行が決まったのだ。
ボクにとっては初めての海外旅行だけど、それ以上の重圧を感じていた。